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 けたたましいセミの鳴き声も街路樹の少ないこのあたりでは少し遠のき、代わりに別の音がその場を支配する。海岸ならば波の音が占領したいところだが、こうも住宅地に近いちっぽけな砂浜であると、車の音や生活の音にかき消されて、なかなか波音は目立てない。ことに今日は潮風が強くて、とても波音を楽しむ環境ではないだろう。それでもやはり夏になると、海に行きたくなる人は増えるのである。
 月は七月、時は下校時刻。アスファルトとコンクリートで舗装された住宅地から、不意に制服姿の女子高生が、砂浜に飛び込んできた。それに続くように、今度は同じく制服姿の男子高生。かたや女子高生はさも楽しそうな表情、かたや男子高生は少々面倒臭そうな表情をしている。
「んーっ、やっぱ海っていいよね。ねえ、ミツキ?」
髪の毛を潮風に遊ばせて、思いっきり伸びをする女子高生。
「何も制服のまま来なくたっていいだろ。家近いんだから着替えてくればいいのに。汚れたって知らないぞって聞いてんのかミドリ?」
ミツキと呼ばれた男子高生の言葉も意に介さず、ミドリと呼ばれた女子高生は波打ち際へまっすぐに駆けていった。
「どーせ土日はさむんだから、汚れたって洗えばいいんだよー」
くるりとミツキのほうへ向きを変え、それでも進行方向は変えずに進み続けるミドリ。柔らかな砂浜に足をとられて、今にも転びそうで危なっかしい。
「ったく……」
風にはためく前髪を必死に掻き上げながら、ミツキはミドリを追いかける。
「あれ?」
波打ち際まで来たミドリが、何かに気づいて足を止め、一箇所に視線を向けた。ミツキもそれに気づき、視線を追った。
 そこには、老婆がいた。砂浜にかがんで、何やらスコップで砂を掘り返していた。海水浴にも潮干狩りにも合わない、いかにも老婆の普段着という格好をしている。孫と遊んでいるとか、そういう気配もなく、一人で黙々と砂を掘っていた。その様子は、何か探し物をしているようにも感じられた。
「あれ、うちのばあちゃんだよ」
追いついたミツキが、ミドリに言った。
「ばあちゃん、子供の頃にこの砂浜で何か大切な物を失くしたとかでさ、暇を見つけてはああやって探してる。今日もずっとああやってたんだろうな」
ミツキが祖母へ駆け寄っていった。ミドリも、それに続く。
「ばあちゃん」
「おやミツキ、お帰り」
心配を含んだミツキの声にも、彼の祖母は平穏そのものの挨拶を返す。振り返ったその顔はにこにことしていて、優しそうな人だというのが、ミドリの受けた印象だった。
「ばあちゃん、またずっと探してたのか? ちゃんと昼飯食ったんだろうな?」
「あら、もうそんな時間かい?」
「ったく……」
日はすでに傾きかけている。彼女ももう年なのだから、こんな無理をしていてはいけないはずなのだ。やれやれといった面持ちで、ミツキはミドリに謝った。
「ごめんミドリ、俺、ばあちゃん連れて帰るからさ、悪いけど先に帰るよ」
「うん……分かった。またね」
ごめんな、とミツキはもう一度謝って、祖母を抱えるように連れ帰った。ミドリは一人、残された。心の中がもやもやとした。恋人と一緒にいられなかった不服もあったかもしれないが、彼女はそれより、老婆のことが妙に気がかりだった。

 翌日、土曜日。空は雲が広がって前日より幾分涼しく、潮風も緩やかで心地良い。この日、ミドリは平日と同じ時間に起きて、普段学校に着く時間には海岸に来ていた。ミツキの祖母はすでに来ていて、もう砂を掘り始めていた。
「あの……おはようございます」
話しかけてみるミドリ。なんだか妙に緊張する。
「はい、おはようございます」
ミドリの緊張感と裏腹に、軽い返事が返ってきた。少々構えていただけに、ミドリは少し拍子抜けした感じだった。
「ミツキの友達なんでしょう。昨日もいましたね」
にこにこした顔で、彼女のほうから話をつなげてくれた。
「あ、覚えててくれたんですか」
こういう時に相手に覚えられているというのは、なかなかありがたいことだろう。
「あ、私、片岡美登里っていいます。えっと……よろしくお願いします」
「これは丁寧にどうも、こちらこそよろしくお願いします。私は瀬川雅美といいます。どうぞお好きなようにお呼びくださいな」
「あ、はい」
マサミは気さくな性格のようで、初対面も同然のミドリに優しく接してくれる。
「さあ、それで? こんな老いぼれに話しかけるのは、何か聞きたいことがあるんでしょう?」
「あ……はいっ。あの……よろしければ、えっと、マサミさんが探してる物のこと、教えていただければ……って……」
もしかすると気を悪くするかもしれないと思い、怖々と尋ねるミドリ。マサミはそれを聞いて、顔はにこにこしたまま、遠くを見るような眼差しになった。
「ああ……私の探している物……」
しみじみと昔のことを思い出しているのか、マサミは感慨深げに、ゆっくりとした口調で話した。
「私の探している物……子供の頃、ここで失くした物……あれは、そう、べっこう色の、ビー玉でしたよ」
「べっこう色?」
聞き慣れない色の名前が出てきた。ミドリは記憶をたどる。べっこう色……確か、べっこう飴の色、黄色のような金色のような……。
「ああそうだ、今丁度、べっこう飴作ったの持ってきてますよ。ひとつあげましょう」
マサミはそう言って、ポケットからドロップの缶を取り出した。どうぞ、とミドリの手を差し出させて缶を振る。ガシャガシャと特有の音がして出てきたのはドロップではなく透き通った黄金色の飴、べっこう飴。いびつな形がいかにも手作りらしかった。ありがとうございます、とお礼を言ってミドリはそれを口の中に入れた。
「おいしい……」
思わず口に出した。初めて食べたその味は、そのものが持っている古いお菓子というイメージと裏腹に、ミドリには新鮮だった。
「気に入ってもらえましたか?」
マサミの言葉に、ミドリは首を縦に振る。マサミはミドリの顔を見て、にっこりと笑った。ミドリは飴を口の中でころころ転がしながら、つられてにっこりと微笑み返した。
「さあて、えーと、何でしたかねえ? ああそうでしたねえ、私の探している物の話をしていたんでしたねえ」
マサミは話を戻した。といっても話がそれかけたのを気にした感じでもなく、その喋りはゆったりだった。ミドリとのひと時を、楽しんでいるようにも見えた。
「あれは……」
「おかあさん!」
話の続きが、突然の女性の声によってさえぎられた。声の方向を見た。中年の女性が、アスファルトから砂浜へ降りて駆けてくる。ミドリはそれがミツキの母親だと気づいた。
「お義母さん、また朝ご飯も食べずにお出かけになって。お薬だって飲んでないでしょう。そんなことしてちゃ駄目ですよ」
「あら、ごめんよ」
やたら甲高い声で叱る声にももろともせず、マサミは変わらずにこにこしている。ミツキの母親はというと、心配と怒りと疲れが混ざった感じのやれやれといったような顔をしている。昨日のミツキといい、おそらくこの老婆は家族にとって相当厄介な人物なのだろう。
「ほら、帰りますよ」
「引っ張らなくたってちゃんと帰るよ。それじゃミドリちゃん、さようなら」
マサミはスコップを拾ってミツキの母親の後をついていった。ミドリはまた、ぽつんととり残されてしまった。宙ぶらりんな気持ちになって、ミドリもまた、やれやれといった顔をした。

 さらに翌日、日曜日。この日の太陽は容赦なく地上を照りつけ、今年の最高気温を更新した。一歩外に出れば汗が滴り、肌が焼ける。ミドリは塾の窓から、かんかんと真っ白な陽光を眺めていた。成績の下降に加え、この日差しにうんざりしていた。勉強に疲れたミドリは、塾が終わるとまっすぐ家に帰った。夜になって、海岸に寄っていけばよかったかな、と思った。

「マサミさん倒れたの!?」
月曜日。日差しはきつかったが、前日に比べればまだゆるやかだった。ミドリは学校で、ミツキから衝撃的な事実を知らされた。
「日射病でな。俺が様子を見に行って早く見つけられたからよかったけど、もし発見が遅れてたらヤバかったらしい」
ろくに水分も摂らずに物探しに熱中してたんだ、とミツキはつけ加える。ミドリは後悔した。昨日、塾が終わってから、どうして海岸に行かなかったのだろう。行っていれば、何かできたかもしれないのに、と。
「おまえは何も悪くないさ。あんま、ばあちゃんに入れ込むな」
ミツキはそう言って、ミドリの肩をぽんとたたいた。

 それからしばらく、マサミは姿を見せなかった。ミツキに尋ねると、ただの風邪さ、年だからちょっと長引いてるんだよ、心配するな、と答えた。ミドリは心配だったが、ミツキのほうがよほどマサミに不安を抱えていることに感づいていた。それがまた、ミドリの不安をあおった。

 また、土曜日が訪れた。この日は久々に雨だった。雨足は強く気温は下がり、どうかすると寒気を感じるほどであった。マサミは月曜から姿を見せていない。今日は来ているだろうか、いやこの雨では無理だろう、そんなことがミドリの頭をぐるぐる回って、結局宿題は進まない。ミドリは窓の外を眺めながらため息をついた。体がけだるい。ミツキはアルバイトに出ていて夕方まで帰らない。そういえば、とミドリは、ミツキの言っていたことを思い出した。あんま、ばあちゃんに入れ込むな、ミツキはそう言った。入れ込みすぎなのだろうか。迷惑だったのだろうか。雨は気持ちを、悪いほうへ悪いほうへと招き寄せる。
 いつの間にか、眠ってしまったらしい。携帯電話の着信音に叩き起こされた。ミドリは目をこすりながら、携帯電話を手に取った。ミツキからだった。時計は五時過ぎを指していた。
「もしもし? どうしたの?」
眠気を振り払いながら電話に出た。
「え? ……家にいない?」
残りの眠気が吹き飛んだ。電話を両手に持って、耳をそばだてる。電話口のミツキは話を続ける。
「さっき家から電話があったんだ、買い物に行った隙にいなくなったって。俺、今バイト先だし、そっちのほうが海岸に近いから、ミドリ、悪いけど行ってくれないか?」
 ミドリは外に飛び出した。寒い。雨が強い。必死に傘を握りしめながら、ミドリは走った。場所は分かっている、あの海岸だ。ミツキの話だと、まだマサミの体調はよくないらしい。嫌な予感がする。ミドリは走る、走る、走る、転びかけて、また走る。
 マサミが倒れていた。
 砂浜で、激しく雨に打たれて、マサミはうつ伏せに倒れていた。
「マサミさん!?」
マサミに駆け寄って、あお向けに抱え込んだ。呼吸がおかしい。熱もある。素人目にも危険な状況であることはすぐに分かった。ミドリは救急車を呼んだ。救急車が来るまでの時間はそれほど長い時間ではなかったはずだが、傘も大して役に立たない豪雨の中で、二人の体力は消耗されていた。

 マサミは肺炎と診断された。緊急入院となった。風邪の治らないまま無理をしたのが原因とのことだった。マサミの治療が行われる中、ミドリは自分自身の体調の異常を感じていた。ミドリは軽い風邪と診断された。着替えとタオルが与えられた。濡れた服を着替え、タオルに顔をうずめる。ふかふかのタオルは、妙な安心感を与える。

 翌日の塾は休むことになったが、ミドリの風邪はすぐによくなった。知らず知らずのうちに心を悩ましていたのだろう、ミドリは久々によく眠った気がした。マサミはかなり危険な状態だったらしいが、治療の甲斐あって徐々によくなっているという。
 次の土曜日。ミドリはミツキとともにお見舞いに向かった。病室のマサミは点滴こそつながってはいたが元気そうだった。二人の顔を見ると、マサミはにっこりと笑って「ありがとう」と言った。
「調子はどうなんだよ? だいぶ楽になったか?」
見舞い品の入った袋を棚の上に置きながら、ミツキは言った。
「ええ、おかげさまで、だいぶよくなったよ。心配かけてすまないねえ」
にっこりと笑ったその顔は、海岸で見たそれと同じだった。ミドリは少し安心した。本当に心配かけやがって、とあきれたように言うミツキの顔も、ほころんでいた。
「腹減ってないか? リンゴ持ってきたから食うならむくけど」
「心配しなくても大丈夫だよ、この病気になるとどうしても食欲は減るからねえ」
「そうか……ん? これ」
見舞い品の袋にかけられたミツキの手が、何かに触った。ミツキはそれを手に取った。見覚えのあるドロップの缶だった。
「ああ、べっこう飴、食べるかい?」
ミドリももらったあのべっこう飴の入った缶である。そういえば、とミドリはあの時のことを思い出した。
「ああ、そういえばあの時、話の途中でしたねえ」
聞きますか、とマサミはミドリに尋ねた。よろしければ、とミドリは答えた。マサミはにっこりと微笑んでうなずいた。ミドリは椅子に腰掛け、ミツキもそばに座ってマサミの話に耳を傾けた。
 マサミは遠い昔を思い返すように目を閉じて、ゆっくり、話し始めた。

「ずいぶん昔の話ですよ。私があなたたちよりももっと若い、やっつかここのつくらいの時でしたねえ。あの頃は戦争が終わって間もない頃でしたから、子供のおもちゃも全然なくって、みんなでよく手作りしたものですよ。それから、あの時近所に、筒井文子って子がいましてね、私たちはフミちゃん、マサちゃんって呼び合って、遊ぶ時はいつも一緒だった大親友だったんですね。
 それで、ある時、フミちゃんは宝物だと言って、そのべっこう色のビー玉を持ってきたんですよ。どうやって手に入れたのか分かりませんけどねえ、とてもきれいで珍しい物でしたよ。珍しいでしょう、私の宝物だよ、町中探しても見つからないよ、って言って、友達じゅうに自慢していまして、私も、とてもうらやましくて、欲しくて欲しくてたまらなかったんですよ。
 それから、また別の時、フミちゃんの家族が全員でお出かけをしたことがあったんですね。それで、きっと、魔が差したんでしょうねえ、家の中にこっそり入って、フミちゃんが大事にしているべっこう色のビー玉を、持ち出してしまったんですよ。盗む気はありませんでした、ほんのちょっと借りて、帰ってくる前に返そうと思ったんです。でも、見つかってしまって。
運の悪いことに、それが近所でも評判の悪ガキでしてねえ、取られて、持って行かれて、あの砂浜に隠されてしまったんです。必死で探しましたよ。でも、そう簡単に見つけられる物ではありませんでしたから、結局ばれてしまいまして。親にも怒られましたが、それよりフミちゃんは、めったやたらに怒鳴りつけましてね、マサちゃんなんか嫌いだ、絶交だ、ビー玉を見つけてくるまで口も利いてやるもんか、って。それから全然何も話をできずに、フミちゃんは引っ越してしまったんですよ」
 話し終わって、マサミは二人のほうを見た。表情は変わっていない。いつもの笑顔。ミドリとミツキは、言葉に窮した。
「それで、今もビー玉を探してるのか」
間をつなぐように、ミツキが言った。
「ビー玉を見つけなければ、フミちゃんと二度とお話できないからね」
「でも」
ミドリが口を開いた。勢いで椅子から立ち上がりかけた。
「でも、そんな昔のこと、その人だってもう忘れてるかもしれないのに」
マサミはミドリを見つめた。そして、言った。
「忘れるわけありませんよ」
ゆっくりと。自分自身の言葉を噛みしめるように、ゆっくりと。
「忘れるわけがありませんよ。親友と絶交した理由なんて、仲直りするまで忘れるわけがないじゃありませんか。それが親友というものでしょう」
マサミはにっこりと微笑みかけた。その言葉には、不思議な力強さがあった。ミドリの心に、すうっと染み込んだ。

 マサミが退院した時には、すでに八月に入っていた。海岸はちっぽけだったが、近所のちびっ子たちには絶好の遊び場となっていた。だから、人はそれなりに多くなる。
「え? 今日からもうビー玉探しに行ったの?」
八月初め、マサミの退院した翌日。空は雲ひとつない快晴で、日本晴れという言葉がふさわしい。この日、ミドリとミツキはデートだった。二人並んで駅に向かうところだった。
「いろいろ条件はつけたんだぜ。日傘と水筒を持ってくとか、出かける時間は一日三時間以内とか」
遠くでセミの鳴き声が聞こえる。車が行き交う。波音はここまで届かない。
「ビー玉、見つかるかな」
「それも気になるけど、一番問題はその親友にもう一度会えるかだな。引っ越し先が分かってないから、探すのはかなり難しい」
会話が止まった。ミドリはうつむき、ミツキは上を向いた。しばらくして、ミツキが口を開いた。
「でも、不幸せには見えないよな」
「そうだね」
八月初め。夏休みはまだ、終わらない。



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