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彼の名前は真田一尋という。

大学での彼は特に目立つ人物でもない。
特徴を挙げるとすれば、羊みたいに見事なまでの天然パーマの黒髪、
それに異様にごつい角縁眼鏡、の2つくらいである。
フレームの色は特定の法則で毎日変わるが、複雑すぎて本人以外にその法則を理解している人はいない。
文芸サークル所属とのことだが、活動には滅多に参加しない。
友人は少なくないが、親友というほど親しい間柄もない。
ただ、砂引香奈耶という女の子だけは、今もああやっているように、彼にしつこく付きまとっていた。



「こらー! 私と顔を合わせずに帰ろうなんてそんなの絶対許しませんよ、ナダ先輩ー!」

砂引は土手の上をを真田目掛けて全力疾走していた。
夕陽を背負い、ロングスカートと茶色いポニーテールを滅茶苦茶に振り回して迫り来るその鬼のような姿は、
真田でなくとも逃げ出したくなる。

「おらー! 追いつきましたよナダ先輩!」

必死で逃げていた真田の背中に、砂引の強烈な諸手突きが決まった。
真田は放り出されるように吹っ飛び、べたんと地面に落下した。
砂引は素早く真田の背中に片足を乗せると、天然パーマを荒々しく引っ張って真田の顔を持ち上げた。
眼鏡のフレームは赤色だ。

「あーっ、また予想外れたー! 金曜で午前が雨の日は絶対シースルー紫だと思ったのにー!」

砂引は悔しがって真田に乗せたほうの足をばんばん踏み鳴らした。
その度に、真田がカエルのようなうめき声を上げてケイレンした。
ここら辺りで説明しておくと、砂引が言っていた「ナダ」というのは真田のニックネームである。
由来は諸説あるが、真田の出身が香川県、すなわち讃岐(さ抜き)であるからという説が最も有力とされている。
ただ砂引が本人に確認したところ、真田の出身は香川でなくその隣の高知県であるそうだ。

「砂引君、ぐえっ、そろそろ、ごはっ、やめてくれ、げあっ、ないかな……がはっ」

力尽きた様子の真田にはっと気づいて、砂引は慌てて足をどけて彼を抱き起こした。

「ナダ先輩、大丈夫ですか!? ひどい、一体誰がこんなことを!?」

「うわあすごいなあ、あれだけやっといてこの子自覚無しを決め込むつもりだよ」

真田はふらふらと立ち上がった。
無地だった服には今や靴跡を含むいろんな模様がくっきりと張り付いていた。

「ううっ、ひどいよ砂引君、こんな滅茶苦茶にやらなくたっていいじゃないか……」

真田は砂引に背を向けて泣きマネをした。
いや、もしかすると本当に泣いているのかもしれない。
その哀愁漂う背中に夕陽がこの上なく似合い過ぎているのを見て、砂引は慌ててフォローした。

「大丈夫ですよ、じゃなくて、元気出してくださいよナダ先輩!
ほら、えーと、たまにはこういう日もありますって」

「毎日だよ」

笑ってガッツポーズする砂引のひたいに真田の中指が刺さった。

「痛いです」

「俺の痛みがそれの比じゃないことくらい、君も充分理解してるでしょ」

真田は服の汚れを払って、足早に歩き出した。
砂引はひたいをさすりながら、真田の横にぴったりと並んで歩いた。

土手はひたすらまっすぐ続いていた。
歩いても歩いても景色は変わらない、右手側には一軒家が立ち並び、
川を越えた左手側にはマンションが壁のようにそびえていて、遠く前方に大きな橋があるだけだ。
市街地の向こうから野球の音と声が聞こえ、どこからともなくカレーの匂いがやって来た。

砂引のお腹が鳴った。

「ああもう、カレーの馬鹿」

砂引はお腹を押さえて恥ずかしそうにうつむいた。
真田はその様子を横目で見ながら、顔はずーっと正面を向いていた。

「このまましばらく行くとカレー屋があるけど」

「大好きですナダ先輩!」

砂引は真田の腕に抱きついた。

「おごるなんて言ってないからね」

「大嫌いです、ナダ先輩」

砂引は真田の腕にぶら下がった。
そのまま数歩、ずるずると引きずられていった。

「一番安いのでいいなら」

「やっぱり大好きですナダ先輩!」

砂引は再び真田の腕に抱きついた。
真田は空いた手で頭を押さえてため息をついた。

「砂引君、君は一体どうしていつもいつも俺に付きまとうのかな」

砂引はびしっと指をさして答えた。

「出会った時から言ってるじゃありませんか!
私はナダ先輩の不思議を暴くのが使命なんです!」

真田は一層大きなため息をついた。

「何度も言ってるけど、
俺は自分のこと別に何の不思議も無いごくごく普通の大学生だと思ってるんだけどねー」

「そんなことありませんよ、ナダ先輩は不思議だらけです!
見た目はどう考えても『僕』系なのに一人称が『俺』だったりとか!」

「そんなの俺の勝手でしょ!?」

真田の口から思いがけなく大きな声が出た。
それから数秒会話が途切れた。
遠くで豆腐屋のラッパが鳴っていた。

真田が再び口を開いた。

「俺に言わせれば、砂引君の方がよっぽど不思議な存在だよ」

「私がですか?」

真田はうなずいて言った。

「出会ってから結構経つけど、俺は未だに君が何星人なのか知らないし」

砂引はぽかーんという顔をした。
それからはっと気づいて真田に食って掛かった。

「なっ、何星人って何なんですかー!? 私はれっきとした地球人ですよ!?
何なんですかあなた私を何だと思ってるんですか宇宙人だと思ってるんですか!?
私は正真正銘名古屋生まれ名古屋育ちの『だがやー星人』ですよ!?
あっ、自分で星人って言っちゃった」

軽く暴走した砂引を横目に、真田は思考の読めない表情でひたすら前を向いていた。
その様子がまたどうにも気に入らなかったらしく、トーンを落としてもまだねちねち言い続けていた。

「何星人って、何星人って、あんまり人を馬鹿にすると……
何星人って……そういう言葉が、発想が、どこから……どこから……どこから?」

砂引は何かを思いついたようにあごに手を当てて沈黙した。
それから急に真田の方に顔を向けると、興奮した様子でまくし立てた。

「もしかしてナダ先輩の不思議って、まさか実は宇宙人だったってことだったりするんですか!?
どうなんですか!? 宇宙人だったりしちゃうんですか!? どうなんですかナダ先輩!?」

砂引は真田に詰め寄った。
真田は無表情で正面を向いたままだった。
砂引は正面を向いて胸の前で両こぶしを握ってうつむいて、興奮をそのままぶつぶつと喋り続けた。

「もしナダ先輩が宇宙人なら……そうだとしたら、ナダ先輩の……ナダっていうのは……
つまりそれは、ナダ星からきたナダ星人だから、これだあっ!!」

砂引はびっくりするほどの大音量の歓声と手拍子を炸裂させ、
顔に興奮と満面の笑みをたたえて真田の肩に飛びついた。

「どうですか!? どうなんですか!? 正解ですか!? 正解でしょう!?
ナダ先輩はナダ星から来たナダ星人でナダ先輩なんでしょう!?
答えてくださいよナダ先輩!」

砂引の顔が近づくにつれて、真田も反対側に顔を向けていった。
その顔はやはり無表情だったが、つぐんだ口元の辺りに妙に力が入っていた。
砂引はなお肩に寄りかかっていったが、その肩が小刻みに震えていることにふと気づいた。
真田は忍び笑いをしていた。
砂引の方にやっと戻ってきた真田の顔は、おかしくておかしくてたまらないと言わんばかりだった。

真田は笑いをこらえながら言った。

「砂引君……俺が宇宙人とか、何マジメに言ってるのさ……
本当に、黙ってたらすぐ引っかかるんだから……」

真田はとうとう声を上げて笑い始めた。
砂引はあ然とした顔で硬直していた。
それから徐々に徐々に怒りの色が現れて、真っ赤になって真田に怒鳴った。

「だっ、だましたんですかあ!? ナダ先輩、ちょっとどういうことですか!?」

真田はにっとウインクして言った。

「いやいや、なんかいい感じに妄想が広がってるからさ、
豊かな妄想力を養うためにはなんにも言わずにやらせておくのが一番かなと思って」

「で、とんちんかんなこと言ってる私を面白がってたってことですか!?
それってひどくないですか!? 放置プレイですよ!?」

「うん、そうだね」真顔で答えた。

「『そうだね』じゃないですよ! このド変態ー!! あっ」

何気なく振った右フックが、真田の顔面にクリーンヒットした。
必殺の一撃、赤い眼鏡と赤い液体が宙を舞い、真田は仰向けにぶっ倒れた。
完全にのびてしまった彼の鼻から、大量の血液が文字通り出血大サービスされていた。

砂引は悲鳴を上げて真田に飛びついた。

「ナダ先輩!? しっかりしてくださいナダ先輩!
ああっどうしよう、このままだと出血多量でポクポクチーンな状態に!?
そうだ、こういう時は出た分だけ入れてしまえば!?」

砂引は自分の荷物からパック入りのトマトジュースを取り出すと、
封も切らずに真田の口へダイレクトに押し込んだ。
一瞬真田の体がケイレンしたのも気にせず、砂引は真田の頭を左手で押さえると、
パックジュースで広げられた下あご目掛けて、渾身のアッパーカットを叩き込んだ。

「おらー! ナダ先輩、トマトジュースを補給して復活してくださいー!!」

アッパーによって真田のあごに巨大な圧力が加わり、パックを粉砕した。
トマトジュースは八方に飛び散り、真田と砂引を真っ赤に染め上げ、
そうでない分はバシャバシャと音を立てて地面に落ちた。
真田は白目をむいて動かなかった。

砂引ははっとわれに返って、辺りを見回した。
放射状に赤く染まった地面と、その中心にぴくりともせず倒れる真田。
その傍らに自分が座り込み、その両手はトマトジュースにまみれていた。

「そんな……」

砂引はぼう然として両手を落とした。
真田は動かなかった。
口の中にパックの破片を残したまま。
砂引は真田の顔を覗き込んだ。

「ウソ……ですよね? そんな……またどうせ、私をだます気なんでしょう?」

砂引は真田に話し掛けた。それでも真田は返事をしない。
砂引の視界がぼやけて、はらはらと雫がこぼれ落ちた。
真田の顔にまみれたトマトジュースに白い跡が残ったが、
真田は白目をむいたまま、パックの破片をくわえたまま、ただひたすらに沈黙していた。

砂引は両手で顔を覆った。
さえぎられる視界、ぼやける視界、その向こうはただ赤、赤、赤。
トマトジュースの赤。

「どうして……どうして、こんなことに……そんな、ナダ先輩……っ、ナダ先輩――!!」

砂引の泣き声が夕日の奥へこだました。

真田が目を覚ましたのは、それから二十分後だった。
目が覚めて第一声は、「どこからが確信犯か分からない」だったそうだ。



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