陽が落ちようとする十一月の川で、少女は探し物をしていた。
川の水は冷たく、少女の足をさらした。
静かだった。
土手は低く、道端にガードレールも走っていない。
人影も、彼が来るまではなかった。

「おまえ、何してんの」

問われて、少女は顔を上げた。
野球帽にジャンパーに茶色い髪の青年が、そこにいた。
青年は目が合うと、少女に笑いかけた。
少女は青年をしばらく見つめた。
それから視線を落として、ややあって言った。

「探し物。
大切なのに落としちゃった。
クマのぬいぐるみ」

青年は川べりに腰掛けた。
少女は気にせず探し続けた。
青年はその様子をしばらくながめて、それから口を開いた。

「早めに帰った方がいいぜ。
この辺はお化けが出るからな」

少女は顔を上げた。
青年は少女を見つめて、口だけ笑っていた。
少女の表情を読んで、笑顔を崩さず青年が続けた。

「信じないかもしれないけどな。
巻き添えを食らいたくなければここにいない方がいい。
つうか、それ以前にカゼひくぜ。
悪いこと言わねえから、早くおウチに帰りな」

「うるさい」

少女の声がとがった。
青年は鼻でため息をついた。
次に口を開いた青年の顔は、もう笑っていなかった。

「油断すると痛い目見るぞ」

少女は答えずに、うつむいて黙々と探し続けた。
青年はむっとした。
そして次の瞬間には、青年の姿は川べりから消えていた。

少女は驚いて顔を上げた。
水音が少女の周りを駆けた。
少女は振り向いた。
そのときにはもう、少女の口に青年の手が当てられていた。

「油断すると痛い目見るぞ、って言ったんだ」

青年の声が冷たく響いた。
少女の顔に、恐怖の色がはっきりと浮かんだ。
青年は手を外した。
少女がよろけたときには、青年はもう川べりに上がっていた。
青年の声が、少女に降りかかった。

「忠告はした。
後はどうなっても知らねえからな」

水を吸った足音が、ゆっくりと遠ざかった。
太陽はもう、西の空に沈んでいた。



満月が夜空に上がった。
少女は川べりにいた。
ぬいぐるみは、見つからなかった。
どうしようもなく、月の映る水面をながめていた。
涙が、視界をぼかした。

不意に、少女の鼻を腐敗臭がついた。
少女の神経が高ぶった。
犬がいた。
低いうなり声と水面に映る黒い影が、少女の耳に目に届いた。
一匹では、なかった。

少女は立ち上がった。
その瞬間に、犬の一匹が飛びついて少女の左腕を噛み砕いた。

「やああああ」

少女は悲鳴を上げて川の中に飛び込んだ。
犬がはがれて、血が水面の月を染めた。
少女はしぶきを上げて逃げようともがいた。
その背中を食い破ろうと、犬が追撃にかかった。
そこに青年が降りかかった。

追撃をしかけた犬が、ボロ布のように引き裂かれて砕けた。
茶髪の青年は川の中に両足を突き刺した。
それから月明かりの下でうなる犬たちを、冷静にながめた。

「ゾンビ犬が、今のを入れて六匹かよ。
チャチなもんをしかけてくれたな」

言うなり、青年の体は飛び出した。
青年の右手が、紫色にひらめいた。

闇とともに、犬が紫の閃光に切り裂かれた。
閃光がひくと、青年にも少女にも腐敗した肉片が降り注いだ。
青年は声を上げて笑った。
少女が、痛みと恐怖にふるえながら尋ねた。

「なんなの。
あなた一体何者なの」

青年は少女に視線を向けた。
その瞳に紫色の光をたたえながら、青年は答えた。

「妖怪だよ。
ただし、半分だけな」

犬の二匹が、青年に向かって同時に飛び出した。
少女の目を、紫の光がついた。
次に視界が晴れたときには、二匹ともがぐるぐるにねじれて少女に濁った目を向けていた。
青年の気配が、少女の背後にあった。

紫の光がまたたいた瞬間、少女の背中をとろけた肉片が叩いて流れた。
少女は悲鳴を上げて目をぎゅっとつぶった。
複数の水音が、少女を中心に駆けた。
少女のまぶたを、一段と強い紫色の光が貫いた。
それから辺りは、静かになった。
少女は恐る恐る目を開けた。

大きく口を開けた犬の頭が、今まさに少女の顔面を食い破ろうと眼前に迫っていた。

少女が悲鳴を上げる間もなく、犬は紫の光に砕かれた。
それで戦いは終わった。

青年は少女の前に立った。
少女は左腕の痛みも忘れて、ただぼう然とその姿を見上げていた。
青年は少女に笑いかけた。

次の瞬間、紫に光る青年の右腕が少女の腹を貫いた。
少女ののどに、血塊がのぼった。
青年の声が、少女の耳に冷たく響いた。

「忠告はしたもんな」

少女は青年の右腕にぶら下がったまま、見開かれた目を青年に向けた。
少女の口から、うらめしげな声が流れた。

「なぜ、分かった」

青年はせき込んだ。
月明かりに照らされて、青年の口から血が舞った。
青年は左手で血を拭いて、にやりと笑った。

「特別な目を持ってるからな」

青年は右腕を引き抜いて少女を放り投げた。
少女は空中で静止した。
青年は胸を押さえてつぶやいた。

「どさくさに紛れて撃ちやがったな。
やべえよ、ブレス撃てねえじゃん」

少女が青年の背後に回った。
青年は右側へ横っ飛びに逃げた。
青年の左肩に切り傷ができた。
青年は苦笑して少女に呼びかけた。

「ちょっと待てよ」

少女の両手が青年の右手をつかんだ。
紫色の火花が飛んで、少女は手を放した。
少女の手の平にやけどの跡が残った。
青年は左手で右腕を押さえて、顔をしかめて喋った。

「待てったら」

少女の両手が巨大化して、青年の両肩を正面からがっちりとつかんだ。
少女の口が裂けた。
その口が青年の頭を食いちぎろうと襲いかかった。
寸前で、青年が喋った。

「せっかく見つけてやったのに」

少女の動きが止まった。
青年はジャンパーから何かを取り出した。
ボロボロに汚れた、クマのぬいぐるみだった。

少女は急にしぼんで、元の形に戻った。
その目には、涙が流れていた。
青年は笑って言った。

「相当下流まで流されてたぜ。
こんなとこで地縛霊やってても見つかりっこないわけだ」

少女はぬいぐるみを受け取った。
少女は尋ねた。

「あなた、名前は」

青年はしばらく少女の顔をながめてから答えた。

「高峰月彦」

少女の口がぎこちなく動いた。

「つ、き、ひ、こ、さ、ん。
あ、り、が、と、う」

少女の体が輝きだした。
その様子を見て月彦は言った。

「なんだ、成仏するのか。
待てよ、その前に」

月彦は少女を引き寄せた。
そして、唇を重ねた。

少女は驚いて離れた。
月彦は手をひらひらさせて言った。

「あの世で使わない力をもらったんだよ。
本当は戦ってる間に全部吸い尽くす予定だったんだけどな」

少女は突然のことに混乱している様子だった。
月彦は構わず、静かに続けた。

「もともと、オレと妖怪は別々の存在だったんだ。
でもどっちも死にかけて、仕方ないからつないだ。
力を集めればオレの中のこいつを分離できる。
そうすれば」

言い終わる前に、少女は天に昇った。
月彦はしたたかに、最後の言葉を言った。

「家族を殺したこいつを殺せる」



辺りは静かになった。
月彦は夜空の月を見上げた。
それから笑って、辺りに呼びかけた。

「てめえら今から、巻き添え食らって死ぬんだぜ」

十以上の影が、ぐるりと月彦の周りを囲んでにじり寄った。
月彦の体から、紫の光がほとばしった。

水面の月が、ゆらりとゆれた。



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