「おそろいにしようよ」

そう言って雷牙は、花澄にパンフレットを手渡した。
付き合い始めた二人は、一緒に携帯を買って持ち始めた。
そのときの携帯は、今は花澄しか使っていない。


   *


「やっほー花澄、初夜はどうだったー」
「言うと思ったわよ」

電話口からご機嫌な雷牙の声が弾け出て、花澄はげんなりとした声で返答した。
雷牙の輝くような表情が目の前に現れそうだった。
雷牙は具体的な返答を求めてせかした。

「ねえ、どうだったのさー」
「別に、悪くはなかったわよ」
「なにっ、そんなによかったのかっ」

雷牙が急に声のボリュームを上げて、花澄は思いっきり顔をしかめて指で耳栓をした。
花澄はいらついた口調で、雷牙の倍のボリュームで喋った。

「ええ、ものすごくよかったわよっ。
あんたが隣で寝てるときの百倍くらいねっ」

電話口から「がーん」という雷牙の声が聞こえた気がした。
それから一拍置いて、いぶかしがるような調子で雷牙は尋ねた。

「どうしたのさ花澄、何か嫌なことでもあったの」
「別に、何もないわよ」

花澄は座り直して、足をまっすぐ伸ばした。
隣で理依渡が、花澄の顔を見つめていた。
小さなため息をひとつ吐き出して、今度は花澄から問い詰めた。

「それで」
「ん」
「何か用事があったから掛けたんでしょ」
「あーあー」

雷牙の口調がいつもの間延びした感じに戻った。
あのへらへら笑う八重歯が、花澄の眼前にいやおうなしにちらついた。

「理依渡の声聞かせてもらおうと思ってさ」
「は」

花澄の声がずいぶん間抜けに響いた。
いや、だから理依渡の声を、と雷牙が言い直しかけたところで、
うわずった花澄の声が電話口を震わせた。

「そっ、そんだけのことで電話掛けてきたのー」
「えっ、こんだけで電話掛けちゃいけなかったの」

雷牙の声は明らかに当惑していた。
花澄はそのままの声色で、ぐちぐちと喋り続けた。

「あたしの声が聞きたいってんなら分かるわよ。
でも理依渡なの。
なんで理依渡なの。
なんでデートの誘いとかじゃなくて理依渡の声が聞きたいってなっちゃうの」
「ちょっと花澄、落ち着いて」

雷牙の声が慌てて花澄をなだめた。
「やっぱり花澄、何か嫌なことでもあったの」
「何もないって言ってるでしょー」

電話を持っていないほうの手でばしりと床を叩いた。
花澄は涙声を作って、媚びるような口調で続けた。

「あたしだってさ、女の子なんだからさ、
『君の声が聞きたくなった』とか言ってくれればさ、そりゃあもう喜ぶのにさ」
「あー、君の声が聞きたくなった」
「もう遅いわよーっ」
「ボクにどうしろと」

花澄は長くため息をついた。
それからぶすっとした表情になって、それから上を向いてまたため息をついて、
ひと回りして元に戻った声のトーンで喋った。

「なんかもう、どうでもいいわよ」
「え」
「自分でわけ分かんなくなった、理依渡に代わるわ」
「え」

花澄は携帯を耳から離して、さっきからきょとんとした顔で花澄を見ている理依渡に突き出した。
理依渡がびっくりした様子で首だけ後ずさりしつつ携帯に視線を落とした。

「雷牙からよ、あんたの声が聞きたいってさ」

理依渡はもう一度花澄の顔を見上げて、それからまた携帯をまじまじと見つめた。
花澄は手に携帯を持ったまま、理依渡の様子を観察した。
頭にクエスチョンマークを浮かべてそうな、まさしくそんな顔に見える。
理依渡は黄金の瞳をこまごまと動かして携帯をひと通り観察した後、
花澄が話しかけていた辺りに向かって試すようににゃあとひと声鳴いた。

「あーっ、理依渡ーっ」

配置的に理依渡の耳のすぐそばにあった場所から雷牙の文字通り猫なで声が響いて、
理依渡は飛び上がるような勢いでびくっとなった。
その一気に逆立った毛やぴんと立った耳と尻尾やまん丸になった目やらを見て、
花澄は思わず吹き出した。
理依渡は花澄と携帯とをきょどきょどしながら交互に見つめ、それからもう一度携帯に鳴いてみた。

「理依渡ーっ」

雷牙の声がまた響いて、理依渡はまたびくっとなった。
それからまた花澄と携帯とを、さっきよりはゆっくりと交互に見つめ、
顔を寄せてまた携帯に鳴いた。

「理ー依ー渡ーっ」

再びびくっとなった。
それから花澄に向けた黄金の目は、心なしかものすごくきらきらしていた。
さらに鳴こうとした理依渡に対して花澄は携帯を引っ込めて、
理依渡は首だけ跳びかかってつんのめった。
花澄は携帯を自分の耳に当てて猫の鳴きまねをした。

「にゃー」
「理ー依ー渡ーおおー」
「アホ」

雷牙がその場にいたら間違いなく小突かれていただろう。
そんな声のトーンで、花澄が続けた。

「理依渡がやみつきになってるわよ」
「そうか、そりゃよかった」
「よかないわよ」

花澄はこう言ったが、実際さっきの理依渡を見ていてかなり楽しんでいた。
その理依渡はというと、なんだか恨めしそうな顔で思いっきり花澄をにらんでいた。
花澄はわざとそっちを向かず、電話口に語った。

「猫に表情があるなんて今まで知らなかったわ」
「そりゃボクにあるんだもの」

雷牙の理論はよく分からない。
そんな中で、雷牙が「あ」と声を上げた。

「そうそう、言うの忘れるとこだったけどさ、郵便受けに生八つ橋入れといたから食べてね」
「は」

花澄は少し思案して尋ねた。

「八つ橋って、誰か京都行ったの」
「ボクだよ、ほらこないだ。
受験終わってから旅行行ったじゃん」

花澄の記憶が引き出された。
二月の頭で受験を終えた雷牙は、公立の試験を控える花澄を尻目にいろいろ遊び回っていた。
その旅行先の中に確か、京都もあった。

花澄が淡々と喋りだした。

「あんたが京都に行ったのは二月の終わりよね」
「うん」
「今は四月の終わりよね」
「そうだね」
「生八つ橋がなまものだってことは知ってるわよね」
「そりゃ、生ってついてるくらいだから」
「なまものが痛みやすいってことも知ってるわよね」
「生物大得意で農学部に入った黒井雷牙、発酵腐敗はお手の物」

しばらく沈黙が流れた。
それから電話口から、雷牙のさわやかな声が流れた。

「じゃ、よろしく」

花澄は叫んだ。
隣の理依渡が全身で飛び上がった。
通話が切れて雷牙に届かなかった花澄の最後のひと声は、それはもう雄々しいものだった。









第6話

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