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花澄の部屋で過ごす初めての夜、理依渡は花澄の枕元に座っていた。
外からのかすかな明かりだけが、部屋を照らしていた。
理依渡は花澄の寝顔を見つめていた。
ふと、理依渡は窓の外に目をやった。
外から月が、光を投げかけていた。
理依渡の黄金の瞳が、月の光に共鳴して輝いた。


   *


ゴールデンウィークが目前に迫っていた。
月曜の夕方、花澄は大学から帰ってきた。
理依渡はひょこらひょこら歩いていって、花澄を出迎えた。
花澄は玄関口で棒立ちしていた。
理依渡は花澄の顔を見上げた。
眼鏡の向こうで、花澄の両目は遠くを見つめて魂を飛ばしていた。
その目がゆっくりゆっくり落ちてきて、理依渡の姿をとらえた。

花澄の体が崩れ落ちた。
理依渡は驚いて上半身だけ後ろに飛びのいた。
花澄はそんな理依渡を両手で捕獲すると、すがりついて泣き声で愚痴った。

「助けてよ理依渡ー。
課題のレポートがどさりんこに出されちゃったのよー。
これから遊べるってときにそんなのないわよー。
あーくそあのハゲトリオ、そろいもそろって課題出すなんて絶対仕組んでるわ。
みんなでよってたかってフサフサの生徒に嫌がらせする魂胆なのよ」

理依渡は花澄の愚痴を硬直して聞いていた。
花澄の話は脱線しながらどんどん続き、終わる気配がなかった。
理依渡はとりあえず、自身をがっちりホールドしている花澄の指をなめてみた。

「やだもー理依渡」

花澄はくすぐったがって理依渡をほっぽりだした。
理依渡は尻もちをつきつつ座り直して、首を縮めて花澄を見つめた。
花澄は理依渡になめられた指をなでながらため息をついた。

途端に閉まっていた玄関の扉が勢いよく開いた。
玄関口から移動していなかった花澄は、背中をしこたま叩かれた。
花澄ははじかれるように前方へ倒れ込んで、理依渡が巻き添えを食らって潰された。
開かれた扉から、さわやかな笑顔の八重歯が飛び込んできた。

「いやっほーん花澄ー、楽しい楽しいゴールデンウィークの計画を立てよー」

雷牙の顔面に渾身のグーが叩き込まれた。
雷牙は吹っ飛んで背後の植え込みにめり込んだ。
意識が飛びかけながらなんとか前を見すえた雷牙の視界には、
鬼のような形相をして今にも雷牙をしめ殺しそうな花澄がいた。
雷牙が何か言いかけようとした途端に、花澄が飛びかかって雷牙の首根っこを引っつかんだ。
そしてそのまま前後に揺さぶりながら、すべての怒りの矛先を雷牙に向けた。

「いいわねあんたはのん気でこっちの気も知らないでいつもいつも楽しそうで
楽しい楽しいゴールデンウィークが待っていて本当によかったわね
あたしなんてあたしなんてハゲトリオのハゲ地獄が待ち構えているっていうのに、
あんたは本当にのん気でイヤホンがどうしたっていうのよバカヤロオ」

雷牙が白目をむきながら、花澄から見て右側を必死に指差した。
花澄はその方向に目をやった。

くるくるパーマのおばちゃんが、そこに立っていた。
一〇三号室、すなわち隣室に住む坂井さんだった。
花澄と坂井さんの目が合った。
両者とも、数秒硬直していた。
それから花澄は少しだけ会釈をして、雷牙を引いてするすると自分の部屋へ入っていった。
一〇四号室の扉が、勢いよく閉まった。

雷牙の体が一本背負いで玄関口に叩き落とされた。
理依渡が不自由な足で必死に避難しようとしていた。
雷牙は逃げ出そうと手足をばたつかせた。
それもむなしく、花澄の両腕ががっちりと雷牙の頭を固定した。
苦しがる雷牙の後頭部で、花澄の声がうなった。

「どうしてくれんのよお隣さんに一部始終見られちゃったじゃないのよおお」
「ぼぐにぞんなごどいばれだっでー」

しばらくロックした後、花澄は腕をゆるめた。
雷牙の頭が床に落ちた。
花澄はため息をついた。

「はーあ、何やってんだろあたし。
高校時代はもっとバラ色のキャンパスライフを想像してたのになー。
それこそもう、まさに自由、ってイメージを持ってたのに。
実際は大して時間割もいじれないし、講義はなかなかサボれないし、どーなってんのよもー」
「まあ、そこそこいい大学に入ったらそんな感じかもね」
「悪かったわね、どうせあたしはあんたと違って『そこそこいい』程度の大学ですよ」

雷牙の脳天にゲンコが降った。
雷牙は完全に沈黙した。
花澄は鼻でため息をついた。
それからすっくと立ち上がった。

「ま、しゃーないか。
出された課題はやらないわけにはいかないし、今さら大学は変えられないし。
連休前に気合い入れて終わらせちゃってそれからゆっくり遊べばいいのよ。
ねえ理依渡」

花澄に呼びかけられて、理依渡は反射的にびくっとなった。
なんでよ、と花澄はくちびるをとがらせた。
理依渡は上目遣いのまま縮こまっていた。
その理依渡を抱き上げようと花澄が手を伸ばしたとき、雷牙があお向けになって口を開いた。

「そうそう、ジョナサンが京都旅行のプランを立ててるんだ。
なんでも知り合いに老舗の和菓子職人がいるとかでね、
店の自慢の商品とか開発中の新商品とかたくさん食べさせてくれるそうだよ。
ようかんとか練り切りとかおはぎとか、ああそれにもちろん京都名物の八つ橋もね」

花澄の肩がぴくりと動いた。
理依渡は反射的に後ずさりした。
花澄は硬直した。
そして数刻ののち、弓矢のように飛び出して雷牙の上に覆いかぶさった。

「今、八つ橋って言ったわね」

雷牙の顔の真上で、花澄の高揚した顔が言った。
雷牙はうなずいて返した。

「間違いなく言ったよ。
八つ橋、って」

花澄の顔がさらに接近した。
くっつきそうなほど近づいた花澄のくちびるから、興奮を抑えきれない声が流れた。

「食べられるのね、八つ橋」

雷牙は両腕に力を込めて花澄を突き上げた。
それからバランスの崩れた花澄の体を押し倒して、体勢を入れ替えた。
雷牙は花澄の瞳を見つめながら、ゆっくりとささやいた。

「いっ、ぱい食べれるよ」

花澄は雷牙の両肩をつかんだ。
その瞳はうるんで、吐息が熱く荒くあふれていた。
その吐息に押されて、声が流れ出た。

「欲しい」

雷牙は意地悪く八重歯をちらつかせた。
それから顔を花澄の顔に近づけて、くちびるに触れるギリギリの距離を保ちながら喋った。

「まだ、ダーメ」
「じらさないでよお」

花澄の爪が雷牙の肩に食い込んだ。
花澄はほおを火照らせて、ひたすらに熱い吐息を吐き出した。

「もう、ガマンできないの。
八つ橋のこと考えたら、体が熱い。
早く、じらさないで早くちょうだい」

雷牙は花澄のくちびるに人差し指を押し当てた。
それからゆっくりと語りかけた。

「今はまだ、ダメだよ。
花澄にはまだ、やるべきことがある。
レポートを終わらせるんだ。
レポートが終わったら、一緒に京都へ行こう。
そうしたら」

雷牙はくちびるを花澄の耳元へ持っていった。
それから八重歯と共に、殺し文句を突き刺した。

「君のど真ん中を、最高級八つ橋で埋めてあげる」



花澄の精神は、そこで絶頂を迎えた。
雷牙は花澄の頭をひとなですると、部屋から立ち去った。
後には花澄と、ひたすらに様子を見守っていた理依渡が残された。

花澄が激しく自己嫌悪したのは、この数十秒後であった。









第9話

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