ビラに書かれた日付に、雷牙はつながりまゆげ研究会の部室へと向かった。
その途中で、男に出会った。
金髪と黒い瞳を持った、西洋系の輪郭の男だった。
雷牙は男に言った。
「その髪の色、天然じゃないね」
「ああ、元は黒髪だ。
そういうおまえは天然っぽいな」
これが、雷牙とジョナサンの最初の会話だった。
*
彩乃の後方で、車は右へ左へ行き交っていた。
彩乃は状況を確認した。
武器の入った彩乃のリュックは、雷牙の左手にあった。
自身は交差点の角にいて、向かって右側の道をふさぐように雷牙がいた。
そして左側の道に、女性の姿が現れた。
花澄だった。
彩乃の顔にあせりが浮かんだ。
彩乃は噛みしめるように尋ねた。
「あんたたち、なんでここにいるのよ。
先回りできるわけないじゃん、あんだけメチャクチャに走り回ったのに」
雷牙はにやりと八重歯を見せた。
それから右手をポケットに入れて、答えた。
「君にも聞こえるはずだよ。
理依渡がボクらをコールする音が、今すぐにね」
雷牙は右手を耳に当てた。
その手の中に、携帯電話があった。
雷牙はくちびるに人差し指を当てて言った。
「さあ、耳を澄ませて」
車の行き交う音は、建物に反射して響いていた。
三人はしばし沈黙した。
その騒々しい沈黙の中で、不意にひとつの電子音が鳴り響いた。
彩乃はその電子音の出どころを認識した。
キャリーバッグを回してふたを開けて、その中身をのぞき込んだ。
黄金の視線が、彩乃の視線とぶつかった。
彩乃はその視線を避けて、バッグの中を見渡した。
ひっくり返った理依渡の下で、携帯電話が点滅していた。
雷牙の声が、彩乃に降りかかった。
「理依渡ね、花澄の携帯がお気に入りなんだよ。
それこそ放っておいたら一日中遊んでそうなくらい。
だから花澄は、バッグの中に携帯を入れた。
そしてボクの携帯で電波を追跡すれば、居場所は簡単に分かるってわけさ」
彩乃は顔を上げた。
雷牙はにこりと八重歯を見せた。
彩乃は左を向いた。
花澄は、悲しげな瞳を向けていた。
そして花澄は口を開いた。
「もうあきらめて、理依渡を返して。
何かよっぽどの事情があるんなら、それはちゃんと話を聞いてあげるから。
理依渡は今はあたしの猫だから、勝手に連れてったら誘拐よ」
彩乃はくちびるを噛んだ。
背後で車の音が、次から次へと迫っていた。
彩乃は動かなかった。
黙って見ていた雷牙は、一歩踏み出した。
そのとき彩乃は、キャリーバッグに手を突っ込んで叫んだ。
「来るなああっ」
彩乃はキャリーバッグを投げ捨てた。
雷牙は足を止めた。
彩乃の手の中に理依渡がいた。
そしてその手は、理依渡の首をつかんでいた。
彩乃は口角を上げて、興奮した声で言った。
「こ、来ないでよ。
一歩でも近づいたら、首を絞めるから」
彩乃は理依渡を二人に掲げた。
二人の顔にあせりが浮かぶのが、彩乃の目にはっきりと見えた。
花澄がうわずった声で、彩乃に呼びかけた。
「バカなマネはやめなさいよ。
そんなことして、いったい何になるって」
「黙れえっ」
彩乃は理依渡を振りかざした。
理依渡の顔が花澄に向けられて、黄金の瞳が花澄をとらえた。
花澄は沈黙した。
彩乃は理依渡を突き出して、花澄にわめいた。
「ほら、道を開けなさいよ。
もうこれ、ちょっと力入れ始めてるんだから。
このまま握りつぶしたら、理依渡死ぬよ。
それでもいいの、どうなのっ」
花澄は言いよどんだ。
雷牙は一歩足音を立てた。
彩乃は振り返って怒鳴った。
「来るなっつってんだろおっ」
理依渡の体は雷牙を向いた。
雷牙は彩乃に呼びかけた。
「いい加減、駄々をこねるのはよしなよ。
理依渡の気持ちを考えたらどうなんだ」
「善人ヅラしてんじゃねえよっ」
彩乃の指に力が入った。
理依渡の黄金の視線が、ぴくりと細まった。
彩乃はあざけりながら喋った。
「てめえら、何をそんなこいつに構うんだよ。
あれか、もしかしてあんたら、こいつが自分らに好意を持ってるとか本気で思ってんのか」
彩乃はじりじりと後退した。
彩乃の背中が、ガードレールについた。
彩乃はそのまま続けた。
「だったら、あんたら大マヌケだよ。
この理依渡っていうヤツはな、誰彼構わず愛想振りまいていいように扱ってるだけなんだよ。
誰に飼われてるとか誰に愛されてるとか、なんも関係ねえんだよっ」
彩乃の体重が、徐々にガードレールにかかっていった。
自動車の走る振動を背負いながら、彩乃はわめき散らした。
「そうさ、今だってそうさ。
今だってこいつは、こんだけ首とか絞められてて、なんも抵抗もしないんだ。
こいつがあんたらの猫だってんなら、暴れ回って逃げりゃいいんだ。
そうさ、飼い主の敵だって分かってんなら、引っかき傷のひとつでもつけりゃいいんだよ」
ガードレールがきしんだ。
彩乃の声が、花澄と雷牙を目がけて響いた。
「こいつはそんなことするの見たことあるか。
ねえだろっ。
こいつはどんなに愛情かけてやってもな、いとも簡単に裏切れるんだ。
こいつはあんたらも裏切る。
あたしになんの抵抗もしないで、このままあたしの」
彩乃の声が中断した。
彩乃の指に、痛みが刺さっていた。
彩乃の口が、空回った。
「なん、でよ」
三人の視線が、その一点に集まった。
理依渡は、噛んでいた。
訪れた沈黙に、車の音がささめいた。
理依渡の歯は、彩乃の指に食い込んでいた。
血が、したたり落ちた。
彩乃の視線がそれに映り込みながら、彩乃の口ははたはたと動いた。
「あん、た、今まで、牙とか、爪とか、人に向けたこと、一度だって、なかったじゃないの」
彩乃の体が、ふらりとガードレールから離れた。
理依渡は歯をゆるめた。
黄金の視線が、くるりと振り返って彩乃の顔をうかがった。
彩乃の口から、言葉が漏れた。
「もう、いらない。
あんたって、またあたしを裏切るんだ」
さっきまでより一段と重い走行音が、交差点に近づいていた。
彩乃の体は動いた。
その行動の意図に、雷牙も花澄も気づいた。
駆け出しながら、雷牙の声が響いた。
「やめろおおっ」
遅すぎた。
勢いよく後方へ振り上げられた彩乃の手から、理依渡の体は離れていた。
理依渡は宙に浮いた。
そしてそこへ、トラックが迫っていた。
回避するすべはなかった。
理依渡の体が、ゴムまりのように飛び跳ねた。
第14話
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