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呪術師・瑠架‐3

ハーブティーを入れて、水野瑠架は自宅でくつろいでいた。
笹原俊彦が死んでから、すでに一週間以上が経過していた。

瑠架は今までかけた呪いを、ひとつひとつ思い返していた。
瑠架が殺したのは、三人ではなかった。
乙部に追及された三人のほかに、瑠架はこれまで四人の人間を呪いで殺していた。
最初に呪い殺したのは、小学生のときだった。
当時瑠架には好きな男の子がいて、そのことを知っていながらその男の子を彼氏にした友人がいて、
激昂した瑠架は呪いの言葉をまくし立てて、そうしたらその友人は死んでしまった。

瑠架はふうっとため息をついた。
その当時調べていれば、友人の体からも薬物が見つかったかもしれない。
ただ彼女は死因のはっきりした交通事故で死んだため、そこまで調べられることはなかった。
当時の瑠架は幻覚物質など考えもしなかったが、それでも呪いの存在ははっきりと意識した。

次に瑠架が呪い殺したのは、中学校の同級生だった。
ガリ勉で塾通いの同級生は、特に塾にも行かず努力もしていない瑠架に成績が負けている
ことをねたんで、ノートを破いたり靴に画びょうを入れたりといった嫌がらせをした。
怒った瑠架は呪いの言葉を吐いて、ひと月後に同級生は学校の屋上から転落死した。
そのときの彼女には、はっきりと幻覚物質の作用が見て取れた。
周囲はそれを受験のストレスによるノイローゼと考えて、彼女の死は自殺として処理された。
瑠架はこの件で、自身の呪いはまぎれもなく実際に効果を発揮していると確信した。

三人目に呪い殺したのは、高校の同級生だった。
その子は好きな男の子が瑠架のことを好きだったために、瑠架に陰湿な嫌がらせをした。
瑠架は彼女に呪いをかけて、彼女はどこかの男の家で発狂して死んだ。
彼女からは薬物が検出されたが、もともとの素行があったために大きな騒ぎになることはなかった。

四人目は、大学の教授だった。
教授は権力を傘に学生を様々な形で食い物にして、瑠架もその標的にされた。
瑠架は呪いで、教授を殺した。
教授の死について、詳しいことは隠ぺいされた様子だった。
うわさによれば、大学側が教授の死因や素行を隠すように警察に根回しし、
その死因は違法薬物による中毒死らしいということだった。
瑠架はこのときから、呪いと薬物との関連を意識し始めた。

大学を卒業して就職してからは、呪いのペースは速かった。
瑠架よりもいい就職先に就いて金持ちの彼氏もできたことを鼻にかける友人をいらついて殺し、
ミュージシャン気取りで瑠架の金で遊びほうけた挙げ句他の女の家に転がり込んだ元彼を殺し、
ろくに仕事もできないくせにいつも威張り散らして瑠架を目の敵にした笹原俊彦を殺した。
彼らからは違法薬物が見つかって、証拠はないものの瑠架が疑われることとなった。
見方を変えれば、それまで瑠架に疑いの目が向けられなかったのが奇跡ともいえた。
一回だけ、呪いが不発に終わったこともあった。
大学時代のアルバイト先で、瑠架は本気で恋した男がいて、
その男に振られたため、瑠架は呪いをかけた。
男は一ヶ月経っても、死ぬことも幻覚作用が現れた様子もなかった。
男はそれから一週間ほどでバイトをやめて瑠架と接点がなくなってしまったから、
その後どうなったかは瑠架は知らなかった。
もしかすると少し遅れただけで呪いが効いたかもしれないし、平然と生きているかもしれなかった。

瑠架はハーブティーのカップを置いた。
呪いの言葉を吐いてからしばらくは、いつものどがひどく痛んだ。
長い期間続くわけではないが、今回はどういうわけか一ヶ月以上も経ってまたぶり返してきた。
翌日になってそれがただの風邪だと分かって、瑠架は診療所へ行った。
診察を受けて、のどの粘膜なんかを取られて、薬をもらった。
その日瑠架は大事を取って、一日仕事を休んだ。

個室にて、瑠架を診察した若い医師は来客にサンプルびんを差し出した。

「どうぞ、頼まれた水野瑠架の咽頭のサンプルです」

来客は、赤い髪の女だった。
女はありがとうと言って、サンプルびんを受け取った。
医師は苦笑しながら忠告した。

「水野瑠架の家に直接忍び込んで、風邪ウイルスをばらまいたそうじゃないですか。
あんまり無茶をすると、あなたが呪い殺されるかもしれませんよ」

女はタバコに火をつけた。
手持ち無沙汰に金のピアスをいじりながら、女は答えた。

「素人相手なんだから、心配ないわよ。
万にひとつもそんなミス、するわけないじゃない」

水野瑠架は家に帰って、部屋の隅で見慣れないものを見つけた。
それは赤く染められた、髪の毛だった。
瑠架の目が、かっと見開いた。
無意識のうちにひとつ、呪いの言葉がこぼれ出た。



さらに二週間が経過した。

赤髪の女はずっと、瑠架の様子をうかがっていた。
目的のひとつは呪いに関する情報を集めること、もうひとつの目的は、
調査中にふたたび誰かに呪いがかけられるのを阻止することだった。

昼休み、異変が起こった。
同僚たちと一緒にカフェで昼食を摂っていた瑠架は、同僚の一人と口論した。
口論は別の同僚によってなだめられたが、瑠架は納得していない様子だった。
瑠架は口論した同僚に、あとでもう一度二人きりで話をしようと提案した。
赤髪の女はどきりとした。
乙部が瑠架から聞き出した話によれば、瑠架はこれまで呪いを、
対象と二人っきりのときにかけていたということだった。
赤髪の女は、彼女たちがどこで話をするつもりなのか聞き耳を立てた。
場所を聞き取ると、赤髪の女は先に席を立ってカフェから立ち去った。



退社時刻になった。
瑠架が指定した場所は、会社の地下駐車場だった。
赤髪の女は、駐車場の様子を確認した。
瑠架と口論した同僚の車は、駐車場の奥の方にあった。
周囲に身を隠せそうな物陰はなかったが、おあつらえ向きな通風孔が天井近くにあった。
女はそこに潜んで、様子をうかがうことにした。
同僚に呪いがかけられないか見張り、呪いをかける気配があれば適当な方法で妨害する算段だった。

女は狭い暗い通風孔に、体を潜り込ませた。
そのとき左手が、何かに触れた。
ガチャリという音が鳴って、女は左手に痛みを感じた。
女はライトを持って、左手を見た。
左手には、手錠がかかっていた。
女は驚いて、左手を引っ張った。
手錠は伸びていたパイプにつながって、ガチャガチャと鎖を鳴らすだけだった。
入ったときは暗くて見えなかったが、よくよく見てみれば、
そこには触れると手錠がかかるようになった罠がほどこされていた。

コツコツと、足音が響いた。
女はぎくりとした。
足音は同僚の車、そして今いる通風孔の方向へ歩いてきていた。
まずいと、女は思った。
女は瑠架と同僚の靴の種類を覚えていた。
足音は、瑠架か同僚のどちらかなら瑠架の靴が出す足音だった。
そしてその足音が、瑠架以外の同じ種類の靴を履いた別人ではないということが確信できた。
足音は、一歩一歩ゆっくりと、そして足音を強調するように踏みしめられていた。
それは例えば、かくれんぼに似ていた。
鬼の子供が、隠れている子供を遠目に見つけて、
わざと一気に駆け寄らずに足音を聞かせてドキドキさせる、そういう足音に似ていた。
事実として、足音の主は瑠架だった。

瑠架は同僚の車の、その向こうの通風孔を見ながら歩いていた。
足音を踏み鳴らしながら、歌うようにつぶやいた。

「かくれんぼのときは、鬼になるのが好きだった。
あたしたちは友達だよなんてのたまってた子たちが、友達のあたしに見つからないように
縮こまって狭い隙間でみすぼらしいネズミのようにはい回るのが痛快だった。
近づいたってすぐに『見いつけた』なんて救いの言葉はやらなかった。
猛禽に目をつけられたあわれなげっ歯類みたいにビクビク震えて見つからないでと
祈るのが小気味よくてたまらなかった。
久しぶりだわ、この恍惚の時間がまた味わえるなんて思ってなかった」

女は手錠をガチャガチャと揺すった。
金属の鎖は頑丈で、とても引っ張って外れる様子ではなかった。
瑠架はゆっくりと歩きながら、喋り続けた。

「昼間ケンカした子とは、仕事の間に仲直りしといたわ。
もともとあんな子、生きていようが死んでいようが関係ないもの。
あのどうでもいいケンカひとつで、あなたが釣れた。
乙部刑事と喫茶店で話してたときからつきまとっていた、赤い髪の毛のあなたをね」

瑠架は同僚の車を過ぎて、まっすぐに通風孔へと向かった。
ビールびんのケースを踏み台にして、通風孔をのぞき込んだ。
中には、誰もいなかった。
切断された手錠だけが、パイプにつながってぽつんと取り残されていた。



通風孔を通り抜けた裏路地で、赤髪の女は安堵のため息をついた。
いざというときのために、常にヤスリなどの工具を持っていたのが幸いした。
女はほこりをはたくと、瑠架に追いつかれないうちにその場を立ち去ろうとした。
これ以上の尾行調査は断念すべきだろうかなどと考えながら、
居場所が分からないよう裏路地を曲がりながら歩いていった。

そのとき進行方向から、あの足音が聞こえた。
女はどきりとして、来た道を引き返して別の分かれ道に進んだ。
足音は、迷わずに女の方へ来た。
足音と一緒に、瑠架の声が届いた。

「見いつけたなんて、言ってやらない」

女の腕に残った手錠の輪に、発信機がつけられていた。






第4話

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