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天使ノ身体切リ売リ候‐2

手術室。

一〇歳になった陽彦は、天使の処置をしていた。
付き添いは、父の旭臣だけだった。
手術台で、天使の少年は人工心肺につながれ、胸を開かれて心臓の周辺をいじくられていた。

移植臓器の注文があると、天使たちは該当する臓器を摘出される。
摘出後、臓器は自然再生し、数ヶ月ほどで元通りに成熟する。
しかし心臓だけは摘出してしまうと生命維持ができなくなるため、
あらかじめ新しい心臓の成熟をうながしたのち移植に使用することとなる。

現在、陽彦が行っているのは、その新しい心臓を分化成熟させるための処置だった。
心臓や周囲の大血管の定められた位置に傷がつけられ、そこに薬液を含んだバッグが装着された。
バッグの薬液により新しい心臓の成熟がうながされ、早くて三か月もすると移植可能な状態になる。

すべての処置を終えて、陽彦は少年の胸を閉じて縫い合わせた。
数か月後にはまた彼の胸を開けるのだと考えつつ、手術を終えた。


   *


二重扉の中間で、陽彦と医師らは服を着替え、消毒した。
エアーシャワーを浴びてほこりを落とし、陽彦たちは入室した。

天使たちの部屋。
男子側。

七人ほどの天使の男の子たちが、思い思いに遊んだり、本を読んだりしていた。
それなりの広さの部屋にはじゅうたんが敷かれ、
いろいろな年齢層に対応できるようなたくさんのおもちゃや、マンガや小説などが置かれていた。
陽彦自身は見たことがないが、その部屋はちょうど、
病院の小児病棟にあるプレイルームに似ていた。

医師たちは手早く、天使たちの健康診断を行った。
寝室にいた天使も合わせて、年齢層もさまざまに一二人の天使の男子がいた。

並ばされた天使たちを見ると、骨格の変形がよく分かった。
『天使の羽』たる肩甲骨以外にも、天使たちは骨盤など、一様に骨の変形と肥大があった。
陽彦はこの骨変形について、天使たる力を有している証だと教えられた。
天使らはこの骨変形ゆえに、運動は不得意だった。
そもそも、彼らが建物の外に出ること自体が普通はないのであるが。

健康診断を終えると、医師たちは点滴を準備した。
週に一回、天使の力を高めるための薬液だった。
すでに寝る時間になっている幼い天使たちは、ベッドに入って点滴を受けた。
まだ起きていたい年長組の天使たちは、輸液スタンドを引きずってプレイルームを歩き回った。
橙色の輸液が、輸液バッグの中で揺れた。

すべての仕事が終わった。
医師たちは戻る支度をし、陽彦は彼によくなついている天使の子供と話していた。
話を切り上げて陽彦も帰ろうとすると、天使の子供が声を上げた。

「あ!」

天使の子が指差した方向を、陽彦も医師も見た。
二重扉についた二枚の窓の、さらに向こうの廊下の窓。

雪が、降っていた。

医師と陽彦は、外に出た。
窓の枚数が三枚から一枚になって、雪はよく見えるようになった。
陽彦は窓に寄って、外を見上げた。
女子側の部屋に入ろうとする医師たちに、陽彦はつい、尋ねた。

「天使たちも、一緒に外で遊べないのかな」

医師たちは、無理だという意を返した。
普通の人間に比べて免疫力が低いから、天使は外には出られない。
聞きあきた内容だった。


   *


昼食を終えた陽彦が廊下を歩いていると、臓器売買のブローカーがいるのが見えた。
商談が終わったところらしく、二人の黒服のブローカーは、
スーツ姿の旭臣に一礼すると、出口の方へ歩いていった。

旭臣が、陽彦の姿に気づいた。
陽彦は歩み寄りながら、ブローカーの去っていった方を見て言った。

「こんな田舎だから、あの人たちも大変だよ。
この建物の人も天使も都会に引っ越せば、医療器具を買うのだって楽だし、便利だろうに」

天使を守るために必要だと、旭臣は答えた。
神聖な天使たちを、都会の汚れた環境にさらすわけにはいかない。
それに天使の存在が多くの人間に知られると、
悪意のある人間が天使の力を利用しようと近づいてきたり、
興味本位の人間が無遠慮な行動をして天使を傷つけるかもしれない。
そういうことから天使を守るために、この慈月村で天使をかくまっているのだ。

陽彦は冷ややかに言った。

「でも天使の臓器を売買して、何百万何千万というお金が動いてる。
それは天使の力を利用してるんじゃないの。
天使から得られる利益を独り占めしたいがために、天使をこの村に閉じ込めてるんじゃないの」

旭臣は、陽彦をにらんだ。
大人の世界に口出しするな、それがおおよその旭臣の返答だった。


   *


自室にて、陽彦は山積みのノートをひも解いた。
それは陽彦自身が、天使について調べたことをまとめたものだった。
陽彦はときどきノートを見返して、考察したり調べ足りないことを探したりしていた。

天使の特徴。
臓器や体の一部を切除しても、何度でも再生すること。
通常の人間に比べ、免疫力が極端に低いこと。
肩甲骨や骨盤など、一部の骨格に肥大・変形が認められること。

死亡した小望の骨格を、陽彦は調べ、入念にスケッチしていた。
骨の組織自体には異質な構造などは存在せず、通常の骨組織が肥大化しただけに見えた。
構造別に見ると、骨の外側、
組織が密に詰まった緻密質(ちみつしつ)と呼ばれる部位はほぼ正常な厚みをもち、
骨の内側、スポンジ状の構造をもった海綿質(かいめんしつ)と呼ばれる部位に
多く肥大があるようだった。

「天使の薬」。
週に一回、すべての天使たちに投与される橙色の点滴。
天使の力を高め、切除した臓器の再生を早める薬。

成分解析を、陽彦はしていた。
陽彦が調べられた内容に関していえば、特別な成分は何ひとつ見つからなかった。
各種ビタミンと、ミネラル分が少々入っている程度だった。
とりわけ多量に入っていたのは、レチノイン酸、俗にいうビタミンAだった。

レチノイン酸の生理機能は「分化誘導」と表現され、固有の機能を持たない未熟な細胞を刺激し、
特定の機能に特化した成熟組織細胞に変化させる作用を持つ。
天使の体においては、切り取られた組織を代替する新しい組織を作る必要があり、
そのために有用と考えればつじつまは合った。
常人なら、過剰量に相当する量が入っていた。

ノートの最後の方に、陽彦が昔描いたスケッチがあった。
小望や、すでに死んでしまった天使たちのスケッチだった。
陽彦はスケッチを一度なで、それからノートを閉じて片づけた。
一一歳の誕生日が、間近に迫っていた。


   *


「居待(いまち)を大天使に昇格させる。
準備をしておけ、陽彦」

旭臣にそう告げられて、陽彦は持っていたノートを取り落としそうになった。
旭臣はそれだけ告げると、さっさと仕事場に向かってしまった。

大天使。
それは天使たちの親となる存在。
成熟した天使から昇格し、臓器の提供を行わない代わりに、新しい天使の子を産む役目を担う。

陽彦は、自室へと戻った。
足が少し、ふらついていた。

大天使は常時、男が一体、女が三体確保されるようにしていた。
その女の大天使のうち一体が、使いものにならなくなっているという話も聞いていた。
しかしそれに充てられる天使が、他の二体いる成人した天使でなく、
一六歳の居待になるとは思っていなかった。

陽彦は、居待の姿を思い描いた。
天使の中でも、とりわけ知的で、そしてきれいな絵を描く天使だった。
彼女が描いた絵を、陽彦は何枚かもらっていた。
「天使に情が移るといけない」と、旭臣に処分されたことがあったため、
それ以降は絵をこっそりもらい、自室に隠し持っていた。

陽彦の思いとは裏腹に、居待を大天使に昇格させる作業は行われた。
居待は別室に隔離され、食事内容も変えられ、「天使の薬」の投与もされなくなった。
三ヶ月かけて、居待の体から天使の力を抜けさせた。
それから居待は、大天使の部屋へと入れられた。

大天使の部屋に、陽彦は入ったことがない。
ただこの部屋に入った大天使は、二度と外へは出てこないことを知っていた。
専門の医師たちが大天使たちを世話し、新しく産まれた天使を取り上げ、
そして用済みになった大天使を処理した。
処理されたのち、大天使は初めて部屋の外に出され、そして解体され売買された。

自室で陽彦は、居待の絵を見ていた。
居待が書いてくれた陽彦の似顔絵を、陽彦はそっとなでた。
その絵を胸の中に抱きしめると、そのまま陽彦はベッドの中に倒れ込んだ。

窓の外では、梅雨がしなだれかかっていた。
一二歳に、陽彦はなっていた。






第3話

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