青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第一話 水響き

その国は、異世界に存在した。
日本の平安・戦国時代に似ていたが、まったく異なる国だった。
その国には人間が存在した。
動物が存在した。
植物が存在した。
そして、「妖」が存在した。

その国の名は、青輪と呼ばれた。


   *


月明かりははるか浅い場所で途切れていた。
それなのに、その洞穴はほの紫に光をたたえていた。
石の光だった。
洞穴の石くれは妖を吸って、ぼんやりと紫色にまたたいていた。
光は洞穴に沿って続いていた。
洞穴は左右にうねっていた。
そして行き詰まりで、水の音が響いていた。

岩肌の割れ目からわき出る水を使って、娘は水浴びをしていた。
娘は黒く長い髪を持っていた。
その髪と白い肌とが水に濡れて、辺りの紫の光を映していた。
その後ろで、白い着物の侍女は静かに座してひかえていた。
黒い髪に、金の髪が混じる娘だった。

不意に、侍女がぴくりと空気を震わせた。
娘はそれに気づいて振り返った。

「どうしたの、千夜(チヨ)」

千夜と呼ばれた侍女は、ゆるゆると黒い瞳を娘に向けた。
向かい合った娘の瞳は、青かった。
侍女はぽつりと口を動かした。

「一夜(ヒトヨ)から、報告が入りました」

娘は水を浴びたまま、体を千夜に向けた。
それから尋ねた。

「内容は」

千夜は顔を落として、薄く目を閉じた。
そうしてそらんじるように、ぽつぽつと内容を伝えた。

「目標、いまだ見つからず。
濃霧発生により、視界不良。
李乃(リノ)、岩砲(ガンホウ)、阿牙鳴(アガナル)の三人、はぐれていまだ合流できず」

娘がぴくりと、引きつった笑みを浮かべた。
その笑顔を保ったまま、千夜に優しく言った。

「今すぐ一夜に送り返しなさい。
『見つかるまで帰って来るな愚鈍ども。
はぐれたヤツらはドブ川に捨ててけスカポンタン。
見つからなかったらカビぞうきん食わすぞたわけ者』」

千夜がわずかに顔をしかめた。
それからまた無表情に戻って返した。

「おおせの言葉には不適切な表現が散見されます。
適当な文面に修正して送ります」

娘はむーっと顔をしかめた。
千夜は無表情にその顔を見上げて、首をわずかに右にかしげながらたしなめた。

「お言葉ですが美智姫(ミチヒメ)様。
美智姫様のような身分のお方がかようなお言葉遣いをなされるのはきわめて不適切なことでございます。
みずからの身分をご自覚ください。
かような内容の進言を私は過去に三四六回申し上げております」

美智姫と呼ばれた娘は思いっきりまゆ根を寄せた。
そして息を荒げた。

「ああもうっ、千夜は本当に岩石みたいな子なんだから。
あのね千夜、よく考えてみなさいよ。
今あたしたちがいるここは、いったいどこなのかしら。
近(コノ)の国の御殿かしら、それとも都の宮廷かしら。
違うでしょ、ここはただのほら穴。
下々の者なんていない、しかも素っ裸で水浴びしてるときに身分もへったくれもないの」

千夜は無表情のままため息をついた。
それからひたすら淡々と述べた。

「恐れ多くもさらなる進言をいたしますことをご容赦いただきたいのですが、
身分に相応した言動行動を行うことは人の見る見ないに関わるものではありません。
人の行動言動はその個人の人となりを表すのみでなくその言動行動が個人の内面に還元され、
その個人の本質である性格性質をその言動行動にふさわしく改変することがままあるため、
いかなる状況におかれましても品格ある言動行動をなされますことは美智姫様の品位性質人となりを」

美智姫はそこで頭をかかえて千夜を制した。

「よ、要するに、普段からおしとやかにしてなさいって言いたいんでしょ。
イヤよあたしは。
せっかく監視だらけのせまっ苦しい環境から抜け出して自由になったのに」

千夜が言葉をはさんだ。

「自由ではありません。
美智姫様には使命がございます。
それに今でも、照覧すべきお方は美智姫様をご照覧なされています」

美智姫はぴくりとまゆを動かした。
千夜は美智姫の顔を見つめた。
表情は変わらず無表情のまま、千夜ははっきりと突き出した。

「神が」

岩肌から染み出る水の音は、絶えず反響していた。
美智姫は千夜を見下ろした。
それからふっと鼻で笑って、噛み潰すように吐き出した。

「神が見ているというのなら、今のあたしの運命もそいつによって決められたのかしら?」

千夜は答えなかった。
水の音だけが、ちょろちょろと続いていた。
美智姫はふーっとため息をついた。
それからなにげなく、紫色の岩肌に手をついた。

そのとき美智姫は、何かに気づいた。
ぴくりと空気が揺れて、千夜はそれを感じた。
美智姫は手のひらに意識を集中させながら、つぶやいた。

「一夜からの報告は、見つからなくて霧が出てはぐれたって、それだけよねえ」

美智姫はにんまりと笑みを浮かべた。
それから軽快に喋った。

「ひょっとしたら、誰かケガ人が出るかもしれないわねえ」

美智姫は千夜に向き直って、それから尋ねた。

「入り口で蒼鱗(ソウリン)が見張りをしてるのよね」

「はい」

千夜がうなずくのを見て、美智姫は洞穴の入り口へ駆け出した。
ぺたぺたと足音を響かせながら、美智姫は呼びかけた。

「蒼鱗ー、あのねー」

走り行く美智姫に、千夜が慌ててしがみついた。

「服を着てください、美智姫様」









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