青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第三話 雷(らい)と落つ

月の光が届いた松林に、朱狼は目を行き渡らせた。
紫桜丸を持ち直しながら、朱狼はつぶやいた。

「囲まれてるな」

白納仁と一夜が外側を向いて、三人の背中が突き合わされた。
それぞれの正面に立つ松の木には、一様にカエルの面が浮かんでいた。
そしてその面は、さらに奥の木にもずっと並んでいるのが見て取れた。
一夜がひとつ、ため息をついた。

「俗悪な言葉遣いをいたしますことをお許しください。
うぜえ」

一夜の正面のカエルが、液体を吐き出した。
一夜は背中合わせのまま、朱狼と配置を換わった。
朱狼が紫桜丸で液を払うのと同時に、白納仁は口に酒を含んでいた。
朱狼は指示を飛ばした。

「李乃たちの方向へ道を開けてくれっ」

カエルの面が液を吐く動作に移る前に、白納仁はその方向へ酒を噴き出した。
妖をたっぷりと含んだ封妖酒は、噴き出された瞬間に炎の竜と化した。
竜は咆哮をとどろかせると、林を突っ切った。
松の木々は、まっすぐに焼き払われた。
その焼けこげた道を、三人は走り進んだ。
雷は鳴り止んでいた。
霧が急に晴れたことで、李乃が状況を把握した可能性は多分にあった。

走り過ぎる松の木々はすべてカエルの面を浮き出させていた。
速度をゆるめない三人に対して、カエルの一体は狙いすまして液体を発射した。
朱狼は走りながらそれを打ち払った。
紫桜丸に散らされた白い液体は、その腐食能力を失っていた。
走りながら朱狼は、白納仁に声をかけた。

「空から様子をうかがってみる。
肩を借りるぞ」

そう言うと朱狼は、走る勢いのまま白納仁の高い肩に駆け上がった。
そしてその肩を蹴って飛び上がると、朱狼は妖を爆発させて空中を二回跳ねた。

朱狼の体が、松林の上に打ち上がった。
上弦の月を背に負って、朱狼は赤い瞳を走らせた。
白納仁が作った道のさらに向こうに、丸く焼けこげた一角があった。
先の雷の落下地点に間違いなかった。

赤い髪をなびかせながら、朱狼の体が地上に舞い戻った。
白納仁はその顔をうかがった。
朱狼はひとつうなずいて、問題なしの旨を示した。
そのとき一夜が声を上げた。

「警告、左方上方より攻撃!」

二人が振りあおいだ。
不自然にふくれ上がった松の枝が、その瞬間にはじけた。
白納仁が一歩前に出た。
朱狼と一夜をかばった白納仁の背に、松の葉が村雨のように撃ち込まれた。

「白納仁!」

朱狼が思わず声を上げた。
白納仁はそれをたしなめた。

「ただの松の葉じゃ、たいした傷じゃないわい。
これしきで動揺していては」

「警告、前方右方!」

一夜の警告に、二人はすぐ振り返った。
松の枝がふくらんで、同様の攻撃が繰り出されようとしていた。
朱狼の動きは早かった。
懐から取り出した封妖石に封妖酒を染み込ませると、葉がはぜる前に早口に術を唱えた。

「纏風転(テンフウテン)っ」

敵からの攻撃と同時に、風の妖術が立ち上がった。
松葉は渦巻く風に取り込まれて、朱狼たちまで到達しなかった。
朱狼は二人に振り向いて言った。

「急いで李乃たちと合流するぞ。
封妖石も封妖酒も浪費はできない、李乃の力を借りなければ」

そうして三人はまた走り始めた。
カエルのうなる声が、三人の背に響いた。
そのとき一夜が声を上げた。

「あっ」

朱狼と白納仁は振り返った。
一夜は地面に倒れていた。
そしてその足には、松の根がからみついていた。
数歩離れた場所からミシミシという音がして、一夜は顔を上げた。

松の木が倒れてきていた。
その木の根元は、白い液体によって腐食されていた。
朱狼の体が動いた。
松の根を振りほどく時間は、とてもなかった。
特に考えがあるわけでもなく、朱狼は一夜と松の木の間に立ちはだかった。
白納仁と一夜が、同時に何か叫んだ。

そのとき三人の耳に、妖術を唱える声が届いた。

「雷牙闇穿(ライガアンセン)」

白い雷光が、倒れ来る松の幹をしたたかに叩いた。
松は一度発光して、それからまっぷたつに割れて黒く焼け落ちた。
朱狼は振り向いた。
白納仁よりさらに後方、朱狼たちと同じ紫の衣に、黒い髪を長く伸ばした男が、そこにいた。

男は緑や金の髪飾りをちらりと揺らした。
紅を差したくちびるは、笑みを浮かべていた。
そして次の瞬間、そのくちびるはしなを含んだ声を発した。

「お待たせしちゃってごめんなさあい、隊長さあん。
でもあたしたちが来たからあ、もう大丈夫よお、うふふ」

そう言って笑う男に、松の木が倒れかかってきた。
男はなんの動作もしなかった。
ただ道の向こうから、獣のような野太いうなり声が響いていた。

「ぬあああああああっ」

倒れ来る松の木を、巨大な男が殴り飛ばした。
男は大きかった。
大柄な白納仁より、さらにふた回りも大きかった。
そしてその顔は、クマのように毛むくじゃらだった。

殴り飛ばした松が林に突き刺さると同時に、髪飾りの男が大男の胸に飛び込んだ。

「あん岩ちゃん、ステキ、かっこいいわあっ」

その背後から、松の葉が発射された。
そこに爆発が起こって、松の葉は吹き飛ばされた。
爆発は火薬によるものだった。
朱狼たちの前に、大筒を抱えた坊主頭に馬面の男が走り寄った。

「遅れやしてすいやせん、隊長っ。
隊長の危機にはせ参じることのできなかった不覚、これからの仕事で挽回しやすっ」

その間も、周囲の松林はざざめいていた。
髪飾りの男は舌打ちした。

「数が多くてうざったいわねえ。
林を全部焼き払った方がいいのかしらん」

「いや」

朱狼が口をはさんだ。
あごに手を当てて考察しながら、朱狼は続けた。

「こいつらは群れじゃない、一体のつながった妖怪だ。
攻撃を一発づつしかしてこないのがその証拠。
そして本体がいるとすれば」

朱狼はちらりと視線をやった。
視線を受けた髪飾りの男は、にやりと笑って返した。

「地面ね」

それから髪飾りの男は、雷を呼び寄せた。
鋭い雷撃が地面をうがつと、そこからけたたましいカエルのうなり声が聞こえた。
本体は、はたして地面にあった。
白くてのっぺりした物体が、にゅーっと伸びて朱狼へと襲いかかった。
朱狼はかわしながら刀を振った。

「紫桜丸っ」

攻撃を当てそこねた妖怪の体に、刀傷が走った。
それは全体の寸法からいってあまりにも小さかった。
妖怪はくるりと向きを変えて朱狼に再び向かおうとした。
その動きは、途中で急激に失速した。
朱狼はにやりと笑いながら、妖怪に言い放った。

「紫桜丸は妖刀だ。
紫の刃は、切った対象から妖を吸い取る。
おまえの負けだ、妖怪」

妖怪はのたうち回った。
傷口から妖が流れ出して、その体はみるみる小さくなっていった。
やがて完全にしぼみきると、妖怪は動かなくなった。

妖を完全に失ったその姿を見た途端、その場にいた全員が「あ」と声を上げた。
朱狼がその後、続けて言った。

「こいつ、カエルじゃなくてこれの妖怪だったのか」

朱狼は顔を上げた。
全員に向けたその視線には、「どうする」と尋ねる色がはっきりと出ていた。
髪飾りの男、李乃は苦笑して言った。

「これについては、あたしは責任を持てないわねえ」

横にいた大男、岩砲もうなずいた。
馬面の男、阿牙鳴に関しては、はなっから意見することを逃げていた。
木の根をほどいた一夜が、口を開いた。

「この件に置かれましては、隊長のご意見に従うほかはないと思慮いたします」

一夜がちらりと白納仁をうかがった。
白納仁はうなずいて、朱狼にのたまった。

「そういうことじゃ、朱狼隊長」

朱狼はたじろいだ。
その場にいる全員から立ちのぼる「早く帰りたい」オーラを、朱狼はひしひしと感じていた。



その後、美智姫は所望したマツタケを無事に胃袋に収めたのであった。









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