青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第四話 蝶の導く

周りを山々で囲われた一角に、酒宿(サカヤド)と呼ばれる集落があった。
交通は不便であったが、一部の旅人にとってこの集落は物資供給の重要な拠点であった。
この集落は、上質の封妖酒を生産していた。

杜氏の娘である泊(トマリ)は、その日も男の子たちと混じって木登りなどをしていた。
一番高くに登っていた泊が、それを真っ先に見つけた。
暮れかけた空に、季節はずれの蝶が飛んでいた。
炎でできた、妖怪の蝶だった。
蝶は手紙を持っていた。
泊はその手紙を受け取ると、父親のもとへ走った。
杜氏が開けたその手紙には、近の国からの要人が立ち寄る旨が書かれていた。



日が落ちて薄暗くなった水浴び場で、泊は念入りに体を磨いていた。
泊はばしゃりと顔に水をかけて、それからふと水面をのぞいた。
黒い髪に黒い肌に黒い瞳をした泊自身の顔が、そこに映っていた。
泊はもう一度、ばしゃりと水を顔に浴びせた。
それから体をごしごしとぬぐって、持っている中で一番上等の衣を着た。

十六夜(いざよい)が東の山から足を離したころに、要人たちは酒宿に到着した。
親衛隊の隊長だと名乗った少年は、集落で一番の権力者である杜氏に言った。

「こちらは近の国領主第一息女の美智姫様であらせられる。
突然の来訪にもかかわらず快く受け入れてくれたことに感謝する」

杜氏の後ろにこっそりとひかえていた泊は、見えないようにまゆ根を寄せた。
少年は杜氏に、何かいろいろと話していた。
泊はそれらの言葉を聞き流しながら、来訪者たちをそろそろと観察した。

来訪者は、全部で九人だった。
紫の衣を着た親衛隊が六人、白い衣を着た侍女が二人、そして赤い衣を着た姫。
泊はそれらの一人一人に、視線をやった。

先頭で杜氏と話す親衛隊長は、泊とほとんど歳の変わらない少年だった。
赤く長い髪をひとつにくくって、赤い瞳とともに夜の暗がりで冴えていた。
集落の少年たちとは違う、真剣さと使命感を感じさせる表情を保っていた。

その後ろにいるのは、近の国のお姫様だった。
黒く長い髪がつやめいて、青い瞳が光を放っていた。
隊長よりいくばくか年上の様子で、表情はやわらげなのに、どこか凛とした雰囲気があった。

お姫様の両脇には、それぞれ大柄な老人と女性のような風貌の男がいた。
老人は白い髪とひげをたっぷりとたくわえて、鋭いとび色の瞳はタカのような印象を与えた。
男の方は黒い髪を長く伸ばして、金や緑の髪飾りをつけていた。
くちびるに差した紅が、なまめかしさを感じさせた。

お姫様たちの後ろには、さらに三人の男がいた。
真っ先に目につくのは、お姫様の背後にいる大男だった。
その巨体と毛むくじゃらで無骨な顔は、クマを容易に想像させた。

大男の両脇にいる男のうち、一人は坊主頭に馬面の男だった。
緊張しているのか姿勢が固くて、雰囲気に田舎っぽさを感じた。
もう一人の若い男は、独特の体色をしていた。
銀の髪の下には褐色の肌があって、瞳の色は金色だった。
雰囲気はおだやかで、女性に好まれそうな顔立ちをしていた。

そして最後尾に、二人の侍女がいた。
双子らしき侍女は人形のような、うりふたつの顔をしていた。
ただ黒い髪に混じる色が、金であるか銀であるかだけが違っていた。

親衛隊長と杜氏の話が終わった。
老人が前に出て、杜氏にお金を払った。
要人たちは集落で一番上等の宿所へ案内されて、遅めの夕食をとった。
その後隊長と老人とは酒蔵へ来て、封妖酒を何かいろいろ見てから買っていった。
泊は杜氏の指示を聞いて、黙々と手伝った。
杜氏と親衛隊たちとがした会話は頭に入っていなかったが、
初めて見るような高額の貨幣が杜氏に渡されたのははっきりと見えていた。



家の裏手で、泊は翌日使う薪の足りない分を用意していた。
静かだった。
月明かりだけが頼りのこの場所で、薪を割る音以外は秋の虫が鳴く声しか聞こえなかった。
泊はいろいろとよそごとなどを考えながら、淡々と薪を割っていった。
そこへ不意に、声がかかった。

「すまない」

泊は心底びっくりした。
そうして振り返って確認して、もう一度びっくりした。
そこには、あの親衛隊長がいた。
十六夜の光のもとで、赤い髪と紫の衣が浮かび上がっていた。
そしてその赤い瞳は、泊へまっすぐに向けられていた。

泊の頭に、くれぐれも失礼のないようにという杜氏の言いつけが反復した。
泊は胸の前に引き寄せていた斧をあわてて後ろ手に隠すと、上ずった声で尋ねた。

「ど、どういたし、ましたか」

泊の敬語は完全に間違っていた。
親衛隊長は特に表情を変えることなく、泊に尋ねた。

「封妖酒作りに使う水源がここから歩ける場所にあると聞いたんだが、道を教えてくれないか」

「えっと」

泊は口伝えで道を教えようとした。
そうしてふと思いとどまった。
水源までの道は、確かに歩ける距離だった。
ただその道は、慣れない者にはとても危険な険しい道だった。
その道をただ教えるだけでいいのか、泊は迷った。
もし目の前の、自分より色の白い少年がその道でケガをすれば、それは泊の責任になる。

泊は思い直して、親衛隊長に宣言した。

「あの、道案内します、私が」

親衛隊長は首をかしげた。
泊の後方にちらりと視線をめぐらせてから、泊に尋ねた。

「いいのか。
仕事の途中だったんだろう」

泊は反射的に首を振った。
返答は意識せず、口をついて出ていた。

「いえっ、大丈夫です。
明日使う分は、もう用意できましたからっ」

ウソだった。
翌日使う分量は、まだ用意できていなかった。

親衛隊長は思案するように、泊の方をうかがった。
泊はただ、き然とした態度をつくろった。
やがて親衛隊長は微笑むと、泊に向かって告げた。

「分かった。
それなら、案内してもらおうかな」

泊ははいと返事をした。
斧を片づける手が、震えていた。
月明かりに輝く少年を引き連れて、泊は水源を目指した。

十六夜は、そろそろ天頂に近づいていた。









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