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青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第五話 煌(きらめ)きは

水源までの道は、ごつごつした岩の重なる急な斜面だった。
泊はそこを、親衛隊長を引き連れながら歩いた。
空気は冷えていた。
岩の表面には夜露がついて、足元をより危険にしていた。
夜露のところどころに、紅葉したカエデの葉が貼りついていた。

足を止めずに、泊は後ろをうかがった。
親衛隊長の足は、軽快だった。
体力に自信のある泊よりも、もっと軽やかに登れそうだった。
泊はあせった。
自分のペースに合わせてもらうのはよくないと、足を速めた。
そのせいで、夜露に滑った。

「うあっ」

泊は転倒しかけた。
その体を、親衛隊長が受け止めた。
泊はびっくりして振り向いた。
親衛隊長の顔が、ものすごく近くにあった。
月明かりを透かしたその顔が、心配そうに尋ねた。

「大丈夫か」

泊はあわてふためいた。

「あ、だ、大丈夫だっ」

それから泊は、急いで離れるとそのまま歩を進めた。
心臓が破裂しそうに強く打っていた。
泊は完全に混乱していた。
敬語が崩れたことも、礼も謝罪も言っていないことも、まったく意識に登らなかった。
泊を受け止めた細い指の感触が、今もつかんでいるように残っていた。



二人はそして、水源に到着した。

一見した途端、親衛隊長から声が漏れた。

「これは、綺麗だな」

そこには、泉があった。
岩から湧き出る水が、赤く色づくカエデの木に囲われて、小さな泉となっていた。

親衛隊長はひざをついた。
月と赤を映す青い水面に、親衛隊長の顔が映り込んだ。
垂れ下がってきた後ろ髪を直して、親衛隊長は水をすくった。
冷たさに刺されて、白い指が朱に染まった。
親衛隊長は口をつけた。
そしてその水をついと飲み干すと、細い吐息をひとつ送り出した。
彼はほおを緩めて、しみじみと語った。

「いい水だ。
封妖酒作りに適した水がどんなものか知識としては知っていたが、実際に触れるのは格別だな」

その仕草を、泊は後ろで見ていた。
美しかった。
空と水面から送られる月光を受けて、その赤い髪や白い肌や紫の衣は霊光をまとっていた。
泊は見とれた。
その衣は、泊の持つ一番上等な衣とは比べるべくもなかった。
よしんば着替えてしまった今の衣とは、雲泥の差だった。
ただ、見とれるしかなかった。

不意に、親衛隊長は振り返った。
泊は跳ね上がるほどびくりとした。
完全にゆるみきっていた姿勢をとにかく正したが、あせりからか来る顔の紅潮は止められなかった。
親衛隊長は微笑みを投げかけて、泊に喋りかけた。

「案内ありがとう。
名前を聞かせてもらえるか」

問われて、泊はしどろもどろに答えた。

「あ、あの、泊、です」

親衛隊長はふむとうなずいた。
それから岩の上にあぐらを組んで、彼は言った。

「泊、そんなに緊張しなくてもいいぞ。
どうせ誰も見てないし、オレは身分の差なんて気にしないからな。
無理に敬語なんて使わなくていいから、他の同年代のヤツらと同じ接し方をしてくれ」

「えっ。
いや、えっと、でも」

泊はとまどった。
事実として、泊は敬語が苦手だった。
ただ失礼のないようにという言いつけが、頭の中を絶えず反復していた。

泊は判断しかねて、口をつぐんだ。
その様子は、もちろん親衛隊長も見ていた。
泉に顔を向けながら、親衛隊長は言った。

「まあ、無理にそうしろとは言わないけどな。
歳の近い人間と話すのは、久しぶりだったから」

親衛隊長は、それから押し黙ってしまった。

泊は迷った。
居心地の悪い空気が泊の周りにあって、泊はうつむきながらまゆ根を寄せた。
親衛隊長は、何も言わなかった。
泊は雰囲気に耐えられなかった。
思い切って顔を上げると、その勢いで口を開いた。

「あのっ、封妖酒は、気、に、入って、もらえましたか」

語尾に行くほど小さくなった。
言い切ってから、泊はひどく落胆した。
敬語を崩すこともできなければ、質問の内容も実にどうでもいいものだった。

親衛隊長は振り返った。
赤い瞳を向けられて、泊は思わず目をつぶった。
親衛隊長は、優しく返した。

「ああ、あれはいい品だ。
まだ妖術を練ってないから、はっきりと質を確認してないが」

それから親衛隊長は、泊の顔をうかがった。
泊は、沈んでいた。
親衛隊長は一度思案してから、その顔をのぞき込んで尋ねた。

「泊。
妖力と妖術と妖怪の違いは、知ってるか」

泊は目を開いて、首を横に振った。
素直な反応だった。
親衛隊長はにこりと笑うと、おもむろに立ち上がった。
泉の方にきびすを返しながら、彼はつぶやいた。

「封妖酒の確認がてらだ」

それから彼は、泉に足を踏み入れた。
履き物や衣のすそが濡れるのを、彼は構わなかった。
泉を数歩進んで振り向くと、彼は泊に向かって述べた。

「この世に満ちる超越的なエネルギーと事象をつかさどる存在、妖。
その状態によって、妖はみっつの型に分けられる」

その腰から、彼はひょうたんを手に取った。
それを左手に持ち替えると、高い位置にかざして傾けた。
流れ出た封妖酒が水面につく前に、彼は動いた。

「素体エネルギーとしての、妖力」

彼は刀を抜いた。
紫の刀身が斜めに上がって、落下する水流を跳ね上げた。
泊には認識できなかったが、このとき妖力が刀に吸われて親衛隊長へと移った。
彼は続けた。

「妖力に特定の性質を付与したものが、妖術」

ひょうたんを手放した左手が、水面に落とされた。
その左手には、妖力が集められていた。
妖力は爆発の妖術に変換されて、水面で白くはじけた。
水柱が、天空へと押し上げられた。
舞い上がる水塊から手放された水滴が、やけにスローモーションに宙を漂った。
親衛隊長は顔を上げた。
その瞳と水滴とに月光をまたたかせながら、彼は最後の言葉を言った。

「そして妖術に魂が込められたものが、妖怪だ」

そして彼は、落下中のひょうたんをつかみ取った。

泊はその間、何も身動きが取れなかった。
親衛隊長の動きは舞のようで、その美しさに泊は当てられた。
その酔いをさましたのは、突然ばしゃりと降ってきた冷たい感触だった。

「ひぎゃっ」

泊は震えた。
降ってきたのは、水だった。
それはさっきの爆発で、親衛隊長が打ち上げたものだった。
泊の耳に、笑い声が届いた。

「はははははははははは」

泊は顔を上げた。
笑っていたのは、親衛隊長だった。
笑いながら、彼は泊に突っかかった。

「ひどいザマだな、おまえ、ははは。
それくらいよけろよ、ははははは」

泊はぼう然とした。
あの親衛隊長が、赤い髪をなびかせつつ腹を抱えて笑っている事実に思考がついていかなかった。
親衛隊長はそして、笑うのをやめた。
それから足を進めて泉から上がると、おもむろに泊の手を取った。

「えっ?」

泊は理解ができなかった。
そして理解できないまま、親衛隊長は彼女をそのまま泉に引き込んだ。

「そおるあーっ」

「ちょっ」

抵抗する間もないまま、泊は泉に落っこちた。
親衛隊長も、その勢いで飛び込んで泊にのしかかった。
泊は必死で暴れた。

「ちょまっ、バカヤロー」

泊の右手が、弓なりに彼のほおをしばたいた。
そうしてから、泊ははっと彼の顔を見た。
親衛隊長のほおには、真っ赤なモミジの跡が残っていた。
親衛隊長の赤い瞳が、微動だにせずに泊をじっと見すえていた。
それから、彼は次の瞬間ニッと笑った。

「それでいいんだ」

そして彼は、泊の手を引いて水際の岩にもたれた。
泊は引かれて、彼の胸にぶつかった。
泊は顔を上げた。
濡れそぼった赤髪が乱れて、彼のくちびるにかかっていた。
そのくちびるが、にこりと笑った。
月明かりを濡れた体にきらめかせながら、彼は泊に言った。

「自己紹介がまだだったな。
オレの名前は、朱狼だ」

カエデの葉が一枚、きらきらと朱狼の後ろで舞った。









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