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青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第七話 空をつなぐ

リスの死体が蹴り飛ばされた。
朱狼は泊を抱き起こしながら、そで口で泊の顔をぬぐった。
顔をぐじぐじとこすられながら、泊は尋ねた。

「朱狼、どうしてここに?」

朱狼は当たり前のように答えた。

「姿が見えなかったから、ここじゃないかと思って探しに来ただけだ」

それから朱狼は、夕日の方向に振り返ってこぼした。

「まだ一体、いや二体いるな」

朱狼の視線に、泊も合わせた。
真っ黒い巨大なリスが二体、だいだいに光る泉の向こう岸からじりじりと狙っていた。

朱狼は一歩駆け出すと、リスから吸い取った妖を爆発させて泉を一気に跳び越した。
リスは、逃げも詰め寄りもしなかった。
その足は迷いなく、足元の石を朱狼へ蹴り飛ばした。
朱狼の方が判断が鈍かった。
空中にいた朱狼はとっさに顔をそむけて、両手で顔面をかばった。
そして着地したとき、朱狼は舌打ちした。
リスの姿は、すでに消えていた。
朱狼は構えながら辺りを見回した。
その朱狼の右肩に、見えない打撃が加わった。

「くっ!」

朱狼は突き飛ばされた。
その勢いのまま転がって、朱狼はひとまずカエデの木に背をもたれた。
紫桜丸を鞘にしまって、朱狼は鼻を鳴らした。

「はん、透明化か。
また判断ミスだ、白納仁や美智姫様には言えないな」

それから朱狼は駆け出した。
背にしていたカエデの幹に、リスの歯型がうがたれた。
朱狼は封妖石を取り出した。
次の打撃に転ばされながら、朱狼は封妖酒を染み込ませて妖術を唱えた。

「纏風転(テンフウテン)っ」

風が巻き起こった。
風は紅葉をすくい上げて、泉の周りをぐるぐると駆け回った。
そして紅葉は、姿の見えないリスに当たった。
ふさふさの体毛にからめ取られた紅葉は、リスの輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。

リスの一体が朱狼に向かった。
立ち上がる動作とひとつながりに、朱狼は左手で抜刀して逆手で刀を振った。
リスは両断された。
その死体からはがれた紅葉群が、朱狼の周りをはらはらと舞った。

舞い落ちる葉のすき間から、朱狼は赤い瞳を向けた。
もう一体のリスは朱狼から離れて、泊の方へと向かっていた。
朱狼は妖を爆発させた。
飛来した朱狼にリスが斬られるのは、葉が地面に落ちきるよりも早かった。

茜(あかね)色の夕日に染まりながら、朱狼は休息する水鳥のように着地した。
泊は声が出なかった。
朱狼は刀をしまうと、泊のそばへ寄ってひざをついた。
そうして泊の肩に手を当てて、つぶやいた。

「衣が破れてる」

泊は言葉に詰まった。

「あ、これは」

それから自分の手で肩を押さえて、朱狼の手をさえぎった。
視線をはずす泊に、朱狼は尋ねた。

「どうした。
妖にやられたんじゃないのか」

泊は答えられなかった。
目を合わせようとしない泊を、朱狼は不審に思った。
赤い瞳を光らせながら、朱狼は追及した。

「何があったんだ。
教えてくれ」

泊は目を伏せて、それから恐る恐る朱狼をうかがった。
夕日は林の線に融け入って、二人の影を薄く長く伸ばしていた。



日が沈みきってから、朱狼と泊は杜氏の家へと戻ってきた。
杜氏は二人が一緒にいることに動揺したが、朱狼はそれを追及させる間もなく口を開いた。

「彼女の協力によって、我々を狙っていた妖を仕留めることができた。
もし彼女が早くに気づいて知らせてくれなかったら、我々は不意打ちを受けてやられていただろう。
彼女の的確な行動に感謝する。
父であるあなたにも、同様に感謝を述べよう」

ひざをついて頭を低くしていた杜氏は、その言葉をただ冷や汗を流して聞いた。
杜氏が何も言えないままに、朱狼は続けて述べた。

「ただひとつ、私は謝罪しなければならない。
妖との戦いの最中、彼女が巻き込まれて衣を破かれてしまった。
この肩の傷だ」

朱狼が指さしたとき、杜氏ののどから声が出かかった。
杜氏は朱狼の顔を見つめて、それから慌てて目を泳がせた。
朱狼はその動作を意に介しない振りをして、言葉を続けた。

「妖にやられそうになった私をかばってな、私が見ている目の前でだ。
実に申し訳ないことをした。
丁重に謝罪する」

朱狼は頭を下げた。
杜氏は完全にうろたえて、思わず後ずさりしかけた。
杜氏は泊の衣の破れが、自分の行動によるものだと知っていた。
だからこの親衛隊長の「目の前で破かれた」という発言は、明らかなウソだと気づいていた。
気づいて、指摘はできなかった。
親衛隊長に対してあなたはウソを言っているなどと、この杜氏が言えるはずがなかった。

朱狼は懐に手を入れながら言った。

「礼と謝罪をかねて、これを受け取ってくれ」

朱狼が貨幣を差し出したとき、瞬間杜氏の目の色が変わったのを、泊は見のがさなかった。
朱狼は続けた。

「これで新しい衣を買ってやってくれ。
それで余れば、他にも彼女が望むものを与えて欲しい」

一瞬、杜氏の目に恨めしさの色が現れたのを、朱狼も気づいた。
朱狼はにっこりと笑顔を作って、最後に言った。

「最後にもう一度礼を言う。
ありがとう。
この集落は気に入ったから、また近いうちに訪れるつもりだ」

杜氏は、のろのろと頭を下げるのがやっとだった。



朝日が、澄んだ空に昇った。
花坐隊はすでに旅支度を整えて、集落の入り口にいた。
朱狼だけが、集落の真ん中で泊と向き合っていた。

「でしゃばったマネじゃなかったかな。
おまえがオレをだましたとかそそのかしたとか、そういう考え方をされたらよくない」

泊はくくっと笑った。

「あのクソオヤジは、たとえ思っても何もできやしないよ。
朱狼が近いうちに訪れるって言ってくれたから」

それから、泊はうつむいた。
朱狼は黙って見つめていた。
泊は、うつむいたまま尋ねた。

「本当に、また来てくれるの?」

朱狼は、微笑んで答えた。

「ああ。
いつになるかは、ちょっと分からんがな」

それから、朱狼は顔を後ろに向けた。

「もう行かなくちゃ」

「待って」

朱狼は顔を戻した。
泊は懐から何か取り出して、朱狼に差し出した。

「これ、あの泉で見つけたんだ。
おもしろいだろ、馬の形をしてる。
泉の水で磨かれた石だから、きっとお守りになると思うんだ」

朱狼はそれを受け取った。
手のひらに収まる大きさのその石は、確かに馬のような形をしていた。
朱狼は笑って、礼を言った。

「ありがとう。
大事にするよ」

それからしばらく、どちらも喋らなかった。
遠く朱狼の背中側から、声が届いた。

「隊長さあーん、置いてっちゃうわよおーん」

朱狼は振り返って、そこに見える女性のような男性に声を張った。

「おーう、今行くー」

朱狼はそれから、顔を戻した。
泊は微笑んでいた。
朱狼も微笑み返して、そして言った。

「じゃあ、また会おう」

泊は小さくうなずいた。

「うん」

朱狼は笑って、それから何か考えるように手の甲で鼻の辺りをさすった。
目線を下にはずしながら、ちょっと迷って、それから朱狼は言った。

「余計なことかもしれないけどな。
泊は、やっぱり、封妖酒を作るのが一番いいと思う。
あの晩、おまえは封妖酒を作ることを『育てる』と表現した。
封妖酒作りによほどの理解と誠心がないと、そんな表現は、出ないと思うから」

それから朱狼は、泊に背を向けて走り出した。
女性のような男性と合流すると、そのまま花坐隊の面々のもとへと走り去っていた。
泊は口をつぐんだ。
今にもあふれ出しそうな言葉を聞かれたくなくて、朱狼と反対の方向へ駆け出した。

澄みきった空は、ただ一面に青かった。









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