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青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第九話 見るは星

物見をかねた回廊からは、宵(よい)の中に息づく山々が一望された。
その輪郭を彫り出すのは、今にもこぼれ落ちそうなほどの満天の星空だった。
空気は、肌を切るほど冷えていた。

回廊の手すりが、きしりと音を鳴らした。
銀の髪と紫の衣をまとった青年は、手すりに体重を預けて空をながめた。
褐色のくちびるから吐き出される息は、星々を吹き散らす前に白くこごって流れていった。

回廊が、きしり、と踏み鳴らされた。
青年は金の瞳を向けた。
きしりきしりと歩み寄ってきたその老人は、とび色の瞳で見返しながら静かに尋ねた。

「一人で星見か、蒼鱗(ソウリン)。
今宵は月も出ておらんのに」

青年は、蒼鱗はにっこりと微笑んだ。
白いひげと紫の衣のその老人は、白納仁だった。
蒼鱗は空に顔を戻した。
それから、吐息とともに言葉をこぼした。

「月のない夜空はいいです。
どんなに小さな星も、そのまたたきを消されることはありませんから」

白納仁はふっと笑った。
それから、手に持った銚子をかかげて尋ねた。

「飲むか」

蒼鱗は微笑んで、是を返した。
手すりに杯(さかずき)が二枚置かれて、そこに酒が注がれた。
蒼鱗の褐色の手が、ひとつを受け取った。
それから空を見つめて、つぶやくように喋った。

「私は、今回の旅の目的を聞いていないんです」

酒を飲もうとした手を止めて、白納仁は蒼鱗の顔を見た。
蒼鱗は空を見つめたまま、とくとくと続けた。

「旅の直前、花坐隊への入隊の要請があったときに、私は妖の封印としか目的を聞いていません。
何か深い事情があったようなので、その妖がなんなのかそのときは聞かなかったんですが、
医者として美智姫様を診ていると、知らないままではいけないのではないかと思うんです。
酒宿での体調不良など、あれは単なるご病気などとは違いますから」

蒼鱗は瞳を白納仁に向けた。
白納仁のとび色の瞳を見つめながら、蒼鱗は尋ねた。

「今回の旅の目的について、教えていただいても構いませんか」

白納仁は、黙って蒼鱗の瞳を見返した。
それから左手で、腰につけたひょうたんを手に取った。
ひょうたんの口を指先でさすりながら、白納仁は一人ごちた。

「そうか、おまえにはまだ話してなかったかな。
いい機会じゃ、話しておくかの」

白納仁は、ひょうたんを手すりに立てた。
そうして手を離すと、その口で封妖酒が炎となってともった。
その炎を軽く指ではじきながら、白納仁は言った。

「ワシらが封印しに行くのはな。
まだ近の国が建っていなかったころ、のちの近の初代領主様が封印した妖怪じゃ」

蒼鱗がかすかにまゆを動かすのを、白納仁は横目で見た。
指先で飛ばした火の粉は、炎の蝶となって白納仁の周りを飛んだ。
白納仁はふっふと笑って、片目を閉じながら蒼鱗に言った。

「別に戦うわけではないぞ。
不完全な封印じゃから、定期的に封印をかけ直さねばならんということじゃ」

蒼鱗は、体ごと白納仁の方を向いた。
炎の蝶は、ひらひらと白納仁の周りやそこらをたゆたっていた。
白い息を吐き出しながら、蒼鱗は言った。

「もう少し、詳しいお話を。
ですが、もし寒いのでしたら、お体に障りますから部屋に戻りましょう」

白納仁はふふんと鼻を鳴らした。

「年寄り扱いするな。
この蝶は暖をとるためではなくて、誰か聞き耳を立てている人間がいないか探るだけじゃ」

それから白納仁は、ふーっと息をもやらせた。
杯の酒をくっと飲み干して、それからまた話し始めた。

「この大陸に、まだ青輪(セイリン)という名の国しかなかったころの話じゃ。
突然現れたその妖怪は、大陸をも破壊するような力をもって暴れ回った。
あまりに強大な妖力ゆえ殺すこともままならず、のちの初代領主となる智樹(トモキ)様は
封印の術をほどこし、その妖を鎮めた」

白納仁は酒を注ぎ足した。
ひらひらと近寄る炎の蝶にちらりと目くばせをすると、白納仁はまた話した。

「封印は不完全で、一〇〇年ごとに術をかけ直さねばならん。
それゆえ封印の力を、自身の血統である『青玉(セイギョク)の血』の中にゆだねたのじゃ。
再び封印が必要となると、血はその魂に強い妖力を与える。
今の美智姫様のようにの」

白納仁は、それから酒をひと口飲んでから蒼鱗を見た。
蒼鱗はあごに手を当てて考えて、それから質問した。

「美智姫様の体調不良は、何か関係がありますか」

白納仁はうなずいて、それから答えた。

「その妖怪にとって、呼ぶときは大妖怪と呼ぶが、青玉の血が発現した人間は邪魔な存在じゃ。
その者がいなければ自由の身になれるからの。
ゆえに大妖怪は、自身の妖力を送り込んで発現者を苦しめる。
また、周辺の妖怪に働きかけ、発現者を攻撃するよう仕向ける。
旅の途中でしばしば攻撃的な妖怪に遭遇するのも、そのためじゃ」

白納仁は片方のまゆをつり上げた。

「ほかに質問は?」

蒼鱗は、金の瞳で白納仁の顔を見つめた。
炎の蝶が舞い寄って、蒼鱗の銀の髪をほの赤く照らした。
蒼鱗は白い息を吐き出して、それから喋りだした。

「解せないことがあります。
一〇〇年周期で封印が必要と分かっていたのなら、事前にもっと準備ができたはずです。
なのに旅の直前に私や阿牙鳴さんを入隊させて、正直急ごしらえに過ぎるきらいがあります。
これについては、何か理由があるのですか」

白納仁は、一度目を閉じた。
それから酒をひと口飲むと、その水面に目を落として言った。

「実はな。
前回の封印からは、まだ四〇年しか経っておらんのじゃ」

蒼鱗の口から、えっというつぶやきが漏れた。
白納仁はまた酒に口をつけて、あごひげを軽くなでながら喋った。

「こんなことは通常起こりえないはずなんじゃがな。
じゃが実際に美智姫様は青玉の血を発現しておる。
そうなれば原因追究よりも、大妖怪の封印が先決じゃ。
記録では、封印の期限は血を発現してから一年以内と定められておる。
それ以上が過ぎれば大妖怪が復活してしまうのはもちろん、発現者の命もついえてしまうと」

白納仁は杯の酒を飲み干した。
それからとび色の瞳を蒼鱗に向けると、片方のまゆをつり上げて問うた。

「自身が入隊したいきさつは納得できたかの、蒼鱗?」

蒼鱗はぎくりと震えて、白納仁の顔を見上げた。
にやりと笑みを見せる白納仁を見て、蒼鱗はとまどいながら返した。

「え、ええ」

白納仁はふっふと笑って、それから続けた。

「いきなりの入隊でなじめんのじゃないかと、みな心配しておるぞ。
酒盛りにも顔を出さんからのう」

「ああ」

蒼鱗は納得した様子で、微笑みながら声を漏らした。

「すみません、人づきあいがどうも苦手で」

白納仁はふふんと笑って、片目を閉じながら蒼鱗を追及した。

「それにしては、美智姫様にはベタベタとしておるようじゃのう。
美智姫様が言っておったぞ、診察の際に他意を感じると」

蒼鱗は笑顔を作って弁明した。

「そんな、他意なんて。
医者が患者を診察するのに、服を脱がしたり体を触るのは当然のことじゃないですか」

蒼鱗は乾いた笑い声を発した。
白納仁は、何も言わずに蒼鱗の顔を見下ろした。
炎の蝶が舞い寄って、褐色の笑顔を照らした。
無言の圧力に耐え切れずに、蒼鱗は自分から口火を切った。

「あ、美智姫様は今どうしてますか。
酒盛りでハメをはずしすぎてまた体調不良を起こしてはいけませんから」

白納仁はしばらく蒼鱗を見下ろしてから、口を開いた。

「風呂じゃ。
朱狼と一緒にの」

蒼鱗の顔から、笑顔が消えた。
ぼう然と目を見開きながら、蒼鱗は言葉をこぼした。

「風、呂?
朱狼さん、と、一緒に?」

白納仁は、その顔を見てにやりと笑った。
手すりに背を当てる形で蒼鱗から顔をそむけると、あごひげをなでながら喋った。

「二人は幼なじみじゃからのう。
護衛にもなるし、それに朱狼はまだ子供じゃしな」

それから白納仁は、横目で蒼鱗をうかがった。
蒼鱗は、ぷるぷると震えていた。
倒れるように手すりに寄りかかると、焦点の合っていない目でわなわなとつぶやいた。

「そんな、美智姫様と風呂?
この私とて、医者という特権を活かしてようやく肌を拝むのが精一杯だというのに。
子供なら、幼なじみなら、一緒に風呂に入ることすら許されるのか?
ずるい、卑怯だ、何も知らない赤ん坊でもないのに。
そうだ、何も知らないわけはない、
楽しく風呂に入ると見せかけてあんなことやこんなことをやろうとたくらんでるに違いない。
渡すものか、美智姫様は私のものだ、私のものだー!」

蒼鱗は猛進する獅子のごとく回廊を駆け出した。
蒼鱗の背中はあっという間に見えなくなって、後には夜の闇に沈む回廊だけが残された。
白納仁はぼそりとつぶやいた。

「アホウか」

白納仁は、ふーっと白い息を吐いた。
それから振り返って、反対側の回廊に呼びかけた。

「おまえも聞き耳は、ほどほどにしておくんじゃぞ」

隠れていた人影が、慌てて逃げる気配があった。
白納仁はやれやれとかぶりを振った。
それから、ゆっくりと手すりに寄りかかって空をながめた。
夜空には変わらず、満天の星々がまたたいていた。
白納仁はしばらくながめて、それから言葉をこぼした。

「やはりワシは、月の出ている空の方がいいのう」

それから、白納仁は杯に酒を注いだ。
炎の蝶は思い思いに手すりに止まって、火の粉に戻って溶けていった。
白納仁はふっと笑って、それから杯をかかげた。
とび色の視線を空の向こうへ送りながら、白納仁はとなえた。

「今は眠る我が友へ、乾杯」

星々は静かに、白納仁の人影を照らしていた。









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