青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第一二話 牙を重ねて

氷の盾で、少女はかろうじて電撃を防いだ。
その盾も、電撃に焼かれてあっさりと崩れ落ちていた。
雷撃の光の向こうに、李乃のくちびるが鮮明に張りついていた。

少女は氷で翼を作った。
落下の勢いを殺すことはせずに、そのまま滑空して横方向に速度を曲げた。
氷の壁に空いた横穴に、少女は身を滑り込ませた。

逃げ込んだそばから、氷の洞窟は入り口から順に粉砕されていった。
少女は飛び散った氷のかけらに妖力を送った。
氷のかけらは幾百の獣に変わって、追ってきた李乃に向けて四方から牙をむいた。
李乃はにやりとくちびるをゆがませると、電撃で獣をこともなげに打ち払った。
少女が青ざめたわずかな瞬間に、電撃の先端が少女の足をからめた。

コントロールを失って、少女は氷の壁に激突した。
複雑に抜け穴の空いた海綿状の洞窟で、少女は身を押さえながらずるずると崩れ落ちた。
少女の正面で、李乃がコツリと足音を鳴らした。
その手には、骨が握られていた。
骨と少女とを同時に見ながら、李乃は少女に問いかけた。

「ちょっと質問、いいかしら。
この骨はさっきこの洞窟で拾った人骨なんだけど、おかしいのよね。
あなたの過去のことは一夜ちゃん経由で聞いたから、
この骨は妖怪に食べられた集落の人のだと思ったんだけど。
この人、生前は強力な妖術使いだった形跡があるのよ。
あなたの家系は集落で唯一の妖術使いだって聞いてるから、つじつまが合わないのよね」

少女が動こうとした。
それより素早く電撃がほとばしって、少女の右腕を焼いた。
痛みにしかめた瞳が再び開いたとき、李乃は視線を少女だけに送っていた。

「例えばあたしたちみたいな旅の妖術師とか、妖怪退治に来た妖術師とか、
あるいはもっと別の可能性とか、いろいろ考えられるけど。
問題はこの人が誰なのかってことじゃなくて、この人をいったいどうしたかってこと。
あなた、おじいさんに対して『エサになって』と言ったわよね」

李乃が一歩踏み出した。
少女はびくりと打ち震えた。
静電気が少女の周りを取り囲んで、少女の全身をつつきながら威嚇していた。
冷徹な視線をたたえながら、李乃は少女に詰問した。

「妖に強い親和性を持った人間が、さらに妖に親和性を持った人間を取り込んだ場合。
何が起こるか、あなたは知っているかしら?」

静電気の制止を振り切って、少女は妖術を発動した。
李乃は電撃を打ち出した。
焼かれていない片足が焼かれるのも構わずに、少女は足元から氷の柱をせり上げさせた。
急上昇した少女を見上げながら、李乃は声を張った。

「妖術使いが妖術使いを食べることは禁術とされている。
なぜならそれをすると、食べた人間は妖怪になると言われているから。
あなたは本気で、妖怪になろうとしているの?」

「うるさいっ」

かすれた声を張って、少女は氷の塊を落とした。
それが地面に激突する前に、李乃はその場を飛びのいた。
李乃は少女を見つめて、耳を澄ませた。
すきま風のような小さな声で、少女は乱れた金の髪も直さずに訴えた。

「あなたには、分からない。
あたしには、人間の友達なんて、いなかった。
みんな、あたしの妖術を気味悪がって、近寄ろうとしなかった。
ずっと頼りにされてたお父さんたちまで、あたしが産まれてから、急にうとまれるようになった。
人間として生きていたって、何もいいことなんてない。
人間の仲間がいっぱいいて、高い身分の人に仕えてる、あなたとは、全然、違う!」

少女の妖力が伝播して、氷の柱がまっすぐにひび割れた。
ひびは李乃の足元まで伸びて、同時に柱はオオカミの群れに変化した。
氷の床とオオカミが、上下から口を開けた。

李乃はささやいた。

「分かるはずがない」

電撃の針が、氷の割れ目とオオカミの胸腔をいっぺんに縫いつけた。
砕けたオオカミは火花のように、氷の地形に降り注いでバラバラと音を乱反射させた。
冷たい火花の雨の中で、李乃は割れ目の間に張った電気の糸に降り立った。

氷の雨が降りやむより早く、李乃は視線をまっすぐに向けた。
雨に打たれて、少女は小さな氷の足場でぼう然と座り込んでいた。
少女の緑色の視線は、李乃の視線に吸い込まれていた。
降りゆく氷のつぶてすら映り込ませない漆黒の瞳で、李乃は白い吐息とともに言葉を降らせた。

「あたしの母は、あたしをアザミのいばらの上に産み落とした。
運がいいと思った。炎の中にでも産み落とされてたら、あたしは生きていないから。
その後あたしは、獣の蹂躙する林の中へと放り出された。
運がいいと思った。石の洞窟にでも閉じ込められるよりは、飢えをしのぐことができるから。
しばらくしてあたしは、どこかの国の軍隊に道具として生け捕りにされた。
運がいいと思った。その人たちの言うことを聞いている限り、あたしの命は保障されたから。
それからまたしばらくして、その国は滅びて軍隊も崩壊した。
運がいいと思った。一人で生きていく力をつけて、自由の身になることができたから。
そうしてあたしは、美智姫様たちと出会った。
よかったと思った。
本当に、よかったと思った。
今まで生きてきたことが、やっぱり正しかったんだと心の底から信じられた」

李乃はそこで、一度目を閉じた。
それから再び目を開けると、悲しげな瞳で李乃は少女に訴えかけた。

「あたしは一度も、両親から愛されることがなかった。
それでも自分を信じて生きてきて、今の境遇にたどり着いたの。
あなたは違うでしょう。
聞かなくても分かる、あなたはご両親から愛されていた。
なのにそんなに捨て鉢になって、人として生きることすら捨てようとするなんて。
そんなのは理解できない。
あたしは、絶対に許さない」

少女はぐっとくちびるを噛みしめた。
緑の瞳から涙をこぼしながら、少女は叫んだ。

「でも、お母さんもお父さんも死んじゃった!」

すべての妖力を注ぎ込んで、少女は氷の壁を濁流へと打ち崩した。
雪崩のような奔流を正面に見ながら、李乃は怒鳴った。

「だからって、自分や他人を粗末にしていいってわけじゃないでしょ!」

ありったけの電撃で、李乃は雪崩をかち割った。
その電撃は少女まで届いて、その体をつんざいた。

そして少女は、ひび割れて崩壊した。

李乃は驚いて目を見開いた。
その背後に、少女はいた。
氷の刃を手に持って、少女は冷ややかに喋った。

「氷の彫刻。
魂を入れて、あたしの姿を投影させて、本物っぽく見せたニセモノ」

少女は刃を振り上げた。

そのとき風が、少女の身にまとわりついた。
少女は目を丸くした。
風は少女の腕を押さえて、振り上げた刃を振り下ろさせなかった。
少女に背を向けたまま、李乃は白い息を吐いた。

「さっきの電撃、あなたを狙ったものじゃなかったのよ」

少女は顔を上げた。
先ほど電撃が着弾した地点に、少年の姿があった。
赤い髪と赤い瞳をきらめかせて、右手には紫色の刀を持って、少年は喋った。

「オレの名は灼(シャク)の家、神刀(シントウ)の血、朱狼。
神刀の血はその血を持つ魂に、生涯一度だけ妖刀を与える。
オレの妖刀は紫桜丸。
その能力は、切った対象から妖を吸い取る。
霧だろうと雷だろうと、刃が通りさえすればどんなものからも吸い取れる」

石を持った左手が、前に伸ばされた。
妖力を吸って妖術を吐き出しつつある風の封妖石を突き出して、朱狼は唱えた。

「纏風転(テンフウテン)」

少女の体が、氷の壁に叩きつけられた。









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