青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第一五話 交じる命(めい)の

「あそこに遠く広がっているのが、大陸の中心を埋める内なる海」

防寒着を巻いた背中に斜陽を受けながら、美智姫は指さした。
朱狼と阿牙鳴は、美智姫の両隣でそれをながめた。

「あっしはまだ、内側の海は行ったことがねえです。
外側の海は、何度か行って釣りをしやしたが」

「オレは逆に、外側の海は行く機会がないな。
あっちの方が広いんだろう、どこまで船をこいでも終わりがないって話じゃないか」

朱狼と美智姫は物見やぐらの欄干(らんかん)に腰かけて、阿牙鳴はその左に立っていた。
左手から吹き降ろす冷たい風に髪を遊ばせながら、美智姫は風上を向いた。

「あっちに見えるのが、西の大山脈と呼ばれる玖陀(クダ)山脈。
この山脈の北端に、あたしたちの旅の目的地であり、大妖怪の封印の地でもある、
大陸で二番目に高い山、耀空山(ヨウクウザン)があるの」

朱狼の位置からは、そのときの美智姫の表情は見えなかった。
美智姫の髪がたなびいて、朱狼の目に入った。
それで朱狼が目をこすっている間に、美智姫は鼻でひとつ息をして夕日の方向を向いた。
阿牙鳴も、美智姫と同じ方向を向いた。
照り染める赤い光に目を細めながら、美智姫は言葉を吐いた。

「そしてあそこに見えるのが、甲(コウ)の国。
多様な封妖石が採れる鉱山と、高い封妖符作りの技術で有名な国。
そしてあたしのご先祖様である智樹様とともに、大妖怪と戦った方が建てた国」

朱狼は、甲の国を見た。
要塞のようだった。
切り立った山肌の表面を、甲の国は埋まり込むように取り巻いていた。



下弦の月が、すでに上っていた。

山道を囲む森の木々は、すでに葉を落としていた。
その間をぬって、ひらひらと二枚の赤い光が舞っていった。
白納仁の、炎の蝶だった。

炎の明かりに先導されて、ガサガサと足音が鳴った。
美智姫は上気しながら、乾いた落ち葉を踏み荒らしでこぼこの山道を駆け足で進んでいった。
朱狼はそれを追いかけながら呼びかけた。

「美智姫様、そんなに慌てなくても。
今夜はさっきの宿所で泊まって、甲の国に入るのは明日でもいいんじゃないですか」

美智姫は顔だけ振り向いて、紅潮した顔で返した。

「あたしは早く甲の国に着きたいの。
さっさと甲の国に着いて、おいしいお料理をごちそうになるんだからっ」

美智姫は、そのまま駆け続けた。
朱狼は隣の千夜に尋ねた。

「なあ、もしかして甲の国って」

千夜はうなずいて、無表情のまま答えた。

「甲の国は山地に存在するため、通常の作物の生育には適さない土地です。
そのため主要な食料は山菜や山の動物など、そしてキノコ類となります」

「やっぱりキノコか……」

朱狼は頭を押さえた。
千夜は走りながら、口をぺらぺらと動かした。

「美智姫様の無類のキノコ好きによって、私たちはこれまで五三四回の不利益を受難しています。
うち三九二回が、美智姫様に食膳を強奪されることに起因します。
美智姫様のご命令により花坐隊その他の業務に支障をきたしたことは六七回、
うち今回を除いて最も近来にあったのはひと月半前のマツタケ捜索令。
なお美智姫様はキノコ類であれば通常の倍以上の食欲を発揮し、
シイタケであれば一日の最大食数は三二一枚、一食の最大食数は一七九枚、ひと月の平均食数では」

「千夜、もういい、おまえは喋るな」

頭の痛みを物理的な仕草で振り払って、朱狼は美智姫の後ろを駆けた。
そのとき李乃が朱狼の横に並んで、耳打ちした。

「誰かつけてるわよ、木の上から」

朱狼は、はっと辺りを見上げた。
それから足を速めて、美智姫に叫んだ。

「止まれ、美智姫様!」

木の上から人影が降ってきた。
朱狼は美智姫の前に出て、紫桜丸を抜いた。
刀を打ち合う音が響いた。
散った火花に驚いて、二羽の蝶がわっと左右に飛びのいた。
朱狼と切り結ぶ男は、長い布で口元以外の全身を覆い隠していた。
口元は、笑っていた。

互いの刀を押し合って、朱狼と男は距離を置いた。
その男に向けて、四方から攻撃の銃口が向けられた。
男は動きを止めた。
男の周りで、朱狼は紫桜丸を構え、李乃は電気を蓄積させた指先を向け、
阿牙鳴は砲筒を肩にかつぎ、岩砲は刀をまるでつまようじのように振り上げていた。

男はふっと笑って、声を発した。

「妖刀使い、妖力自己供給型の妖術師、カラクリ技師、巨漢。
どこの姫かは知らねえが、ずいぶんとご大層な護衛じゃあねえか。
こんなんじゃあお姫様も、さぞや退屈してんじゃあねえの」

そのとき朱狼は、はっと息をのんだ。
被っていた布だけを残して、男は消えていた。
朱狼は振り返った。
茶色く逆立った髪をさらした男は、美智姫を抱き寄せていた。
美智姫は面食らって、男の顔を見上げた。
男の左目は茶色い瞳をしていて、右目は眼帯で隠されていた。
男は美智姫の手を取り上げると、瞳を見つめながらささやきかけた。

「なあお姫様、こんなんじゃ退屈だよなあ。
えらいお人の家に生まれたってだけで人がわらわら寄って集まって護衛されて、
自由も何もあったもんじゃない。
それがこれから何年も何十年も続くと考えたら、もう頭がおかしくなっちまう。
だから、さ。
こんなヤツらほっぽって、オレと一緒に楽しい夜を過ごそうぜ?」

「あ、あなた」

美智姫が口を開きかけたとき、男の首に刀が当てられた。
男は振り返った。
蒼鱗が、おだやかな表情のまま刀を突き出して怒りの炎をたぎらせながら言葉を吐いた。

「どこのチンケな山賊か知りませんけど、
私の美智姫様に気安く手を出すなんて身のほど知らずにも程度ってもんがござあますでしょう。
股間をちょん切ってこま切れにして刀のさびにしてくれましゃうか」

男は蒼鱗の顔を見つめて、それからにやりと笑って挑発した。

「顔はオレの次くらいにいいけど、関係ねえな。
狙った女はオレが全部奪ってくから、てめえは外野でクソして寝てな」

蒼鱗はぶち切れた。
白納仁は離れた場所で、ただ様子をながめながら首を振った。

「やれやれ、ずいぶんとイタズラ小僧に育ったもんじゃわい」

木の上を誰かが飛び移る気配がした。
朱狼が反応するより早く、それは降ってきた。
男の頭に、こん棒がめり込んでいた。
くらりと倒れた男の上で、出っ歯とねじり鉢巻きの小男はぐちをこぼした。

「ったくアニキはキレイな女の人がいたら見境なしに突っ込んでって。
いい加減勘弁して欲しいっす。
問答無用で切られてたらどうするんっすか」

木の上でさらに、人の動く気配がした。
さっきまでの気配に比べて、動きがとろかった。
朱狼が見上げたその上から、何かが降ってきた。
それは白い衣に包まれた、乳房だった。
朱狼はよける間もなく、顔面をそのたわわな乳房にはさまれて枯れ葉の上に押し潰された。
のびる朱狼の上で、波打つ栗色の髪をくしゃくしゃにしながら女性が悲鳴を上げた。

「きゃああああ、ごごごごごめんなさいいいい。
だだ大丈夫ですかあ、おケガはありませんかあ、頭打ってませんかああ。
はううう私ったらとんだドジをしてしまって、なんとおわびをすればいいやらああ」

朱狼は抱きしめられて頭をさすさすされた。
くらくらとした視界の中、朱狼は蒼鱗がどす黒い羨望の視線を向けていることだけは気がついた。
白納仁が、美智姫に呼びかけた。

「のう美智姫様、あまり変なゴタゴタを起こさないように、
そろそろ名乗った方がいいんじゃないかのう」

「美智姫?」

のびていた眼帯男が、がばりと起き上がった。

「美智姫って、近の国の美智姫か。
まさか、あの美っちゃん?
マジかよ全然分かんなかった、昔と全然違うじゃねえかよ」

蒼鱗はムッとして、男につっかかった。

「ずいぶん、美智姫様になれなれしく話しかけますね。
チンケな山賊が美智姫様と、いったいどんな関係があるんですか」

美智姫が蒼鱗をたしなめた。

「言葉遣いに気をつけた方がいいわよ、蒼鱗。
この方は達國(タツクニ)様、甲の国の次期領主よ」

「次期領主!」

阿牙鳴が声を上げた。
男はふっと笑って、立ち上がりながら言った。

「次期じゃねえよ」

男は、体についたほこりを払った。
ゆがんだ眼帯を直しながら、男は言い放った。

「親父はもう引退した。
オレの名は甲の家、晶瞳(ショウドウ)の血、達國。
甲の国の、現領主だ」

炎の蝶が、ひらひらと舞い戻ってきた。
月光が、達國の髪と瞳を照らしていた。









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