青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第一八話 細(こま)にちぎれて

白納仁にうながされて、全員が部屋の外に出た。
だいだいの照明が照らす天井のある回廊を、白納仁が先頭に立って走った。
走りながら、白納仁は説明した。

「達國様に取り憑いた妖は、美智姫様を狙っているらしい。
ひとまず美智姫様は別の部屋に避難していただき、ワシらは達國様の相手をする。
可能ならば、とり憑いた妖を引きはがしたいところじゃの」

朱狼が不意に立ち止まった。

「そっちはだめだ。
近づいてる、妖力の気配が」

美智姫は朱狼の顔を見た。
朱狼の顔は引きつっていた。
朱狼は後退して、横道に一団を誘導した。
進んだ先の分かれ道を左に選んで、行き止まりにぶつかって朱狼は露骨に舌打ちした。
白納仁が後ろから尋ねた。

「どうした朱狼。
何か気分でも悪いのか」

朱狼は息を荒げて、振り返らずに白納仁に尋ねた。

「白納仁。
今オレが感じている妖力は、達國様の妖力と取り憑いた妖怪の妖力の合わさったものか。
いったいこの妖力のどれだけの割合が、達國様の妖力なんだ」

白納仁は首をかしげて、返した。

「ワシは朱狼ほど妖力の感知能力は高くないが、おそらくほぼすべてが達國様のものじゃろう。
取り憑いた妖自体は、それほど強い妖ではないらしい」

朱狼は振り向いて、困惑したように白納仁に訴えた。

「達國様の妖力は、暴走状態の美智姫様よりも強いのか」

その場所に、達國が現れた。
朱狼は、達國の目を見た。
達國の眼帯は、はずされていた。
その右目に眼球はなかった。
眼球の代わりにはまっていたのは、紫色の水晶だった。

李乃がとっさに、美智姫の前に出て達國の視線からさえぎった。
李乃は電撃の障壁を張った。
その障壁は、風に吹かれたようにあっという間に消滅した。
李乃の顔が青ざめた。
胸を押さえた李乃は、こらえきれずに大量の血を吐き出した。
白納仁は武器を探ろうと、懐に手を入れた。
炎の蝶は跡形もなく消滅し、妖術除けの力を持った紫の衣は、みるみるうちに色があせていった。
朱狼は考える余裕もなく、紫桜丸を抜いた。
その紫桜丸が、かすかな悲鳴を上げた。
紫桜丸の紫色は一気にあせて、能力を失ったただの刀になってしまった。
達國は封妖石を握っていた。
その封妖石を、達國は体を回しながら放り投げた。
すでに全員の衣は、色あせて妖術除けの能力を失っていた。
大過剰の妖力を与えられた封妖石は、全員を壁ごと吹き飛ばすほどの爆発を引き起こそうとしていた。
その封妖石がはぜる寸前、白納仁が封妖符を発動した。

「転移符(テンイフ)!」

達國以外の全員が、その場から瞬間移動した。



花坐隊の一団は、洋國前領主の部屋に転移した。
転移した瞬間、全員がその場にくずおれた。
洋國とお付きの妖術師たちは、彼らに駆け寄って介抱した。
朱狼はうずくまって、紫桜丸に呼びかけた。

「紫桜丸」

紫桜丸は、なんの変哲もない鉄色の刀になっていた。
朱狼は床に封妖酒を流して、それを紫桜丸に切らせた。
紫桜丸は、妖力を吸わなかった。
朱狼は歯ぎしりして、それから妖力を含んだ薬草を取り出して噛みつぶした。
妖力が朱狼の体を通じて紫桜丸に伝わり、それで紫桜丸に少し紫味が戻った。
改めて封妖酒を切ると、紫桜丸は少しずつ妖力を吸収していった。

美智姫は顔を上げて、洋國に尋ねた。

「洋國様、達國様のあの右目は」

洋國は一度眼帯を押さえて、それから説明した。

「オレたちの血統である晶瞳の血は、朱狼君の神刀の血とよく似ている。
晶瞳の血は、その血の持ち主に生涯一度、『水晶眼(スイショウガン)』を与えるんだ。
くしくもその能力も、朱狼君に似ている。
達國の水晶眼は、視界に入ったすべての対象から妖力を奪い取る」

朱狼はうつむいたまま、紫桜丸の様子を見ていた。
白納仁が、説明を引き継いだ。

「朱狼の紫桜丸に比べて、達國様の水晶眼はいささか乱暴じゃ。
妖力自己供給型の妖術師、つまり美智姫様や李乃のように肉体と妖力の親和性が高いと、
妖力を引き抜かれたときに肉体を傷つけられてしまう」

白納仁はそれから、李乃に視線を向けた。
岩砲のひざに頭を乗せられて、李乃は苦しそうに胸を上下させていた。
李乃を診ていた蒼鱗は、白納仁に李乃の状態を伝えた。

「体内の深いところにもダメージがあるようです。
精一杯の治療はしますが、数日は戦闘には復帰できないでしょう」

阿牙鳴が悲鳴を上げた。

「李乃さんがそんなにやられるなんて。
どうすりゃいいんすか、あっしらでどうにかできるんすか」

白納仁が強い調子で返した。

「どうにかしなければならん。
達國様に憑依した妖は、美智姫様を狙っておる。
そしてそれ以上に、達國様を妖に憑依されたままにしておくわけにはいかん。
このタイミングで妖に襲われるのは、ワシらが来た影響かもしれんしのう」

そして白納仁は、視線を動かした。

「朱狼」

朱狼はぴくりと反応した。
白納仁は、言葉を続けた。

「おまえが妖の憑依を解くのだ。
達國様に大きな負担を与えず最も手っ取り早くやるには、おまえの紫桜丸が最適じゃ」

阿牙鳴は、しばらくぼう然とした。
それから気を取り直して、問いただした。

「ちょっ、ちょっと待ってくだせえよ白納仁さん。
朱狼さん一人にやらすんですかい。
あんな強いお方が相手じゃ、朱狼さんとはいえいくらなんでも無茶でしょう」

とび色の瞳が、阿牙鳴に向いた。

「おまえも行くのだ、阿牙鳴」

「へ」

阿牙鳴は、またしてもぼう然とした。
それからさあっと顔を青ざめさせて、しどろもどろに喋った。

「え、あ、あっし、あっしっすか。
そんなどうして、なんであっしが、あっしなんかがそんな、え、なんで」

「おい、白納仁」

白納仁は視線を向けた。
朱狼はうつむいたまま、淡々と白納仁に尋ねた。

「オレに達國様と戦わせて、おまえはどうする気だ」

阿牙鳴は白納仁の顔を見た。
白納仁は朱狼に顔を向けたまま、ひげをなでて言葉を返した。

「申し訳ないが、ワシのような一介の妖術師では達國様相手となると足手まといにしかならんのじゃ。
妖怪は達國様に憑いたもの以外にもいるようじゃから、ワシはそっちの相手に向かう」

「はん」

美智姫は、朱狼に顔を向けた。
朱狼はずっと、うつむいていた。
うつむいたまま、ただつらつらと言葉を吐き出した。

「そうかよ。
死ぬほど厄介な相手は隊長様に任せて、自分は楽そうなザコ狩りに向かうのか。
気楽なもんだな。
歳食ってるのに特級部隊にあさましく居座って威張り散らして、
あげくいざってときはご隠居根性丸出しってか」

「朱狼」

美智姫が朱狼の手を握った。
朱狼の手は、震えていた。
朱狼は少しだけ、顔を上げた。
美智姫の青い瞳を見ながら、朱狼は言葉を吐いた。

「なあ美智姫様、震えてるだろ。
怖いんだ。
さっき対峙したそれだけで、圧倒的な力の差を感じちまって、
そんなのと戦わなきゃいけないって思ったら、半端なく怖いんだ」

朱狼はそして、顔を完全に上げた。
美智姫に向けたその表情は、怒りだった。
赤い瞳をらんらんとたぎらせて、朱狼はむき出した歯のすき間から言葉を吐き続けた。

「それ以上に、ムカつくんだ。
ふがいない弱さを見せた自分に、どうしようもできないと思ってしまう自分に。
オレはなんのために強くなったんだ。
美智姫様を、守るためじゃなかったのか」

朱狼は美智姫の手をすり抜けて、立ち上がった。
美智姫は朱狼を見上げた。
後ろ手に封妖酒を流した朱狼は、振り向きざまに封妖酒を切り払った。
しぶきが散った。
妖力を吸って、紫桜丸と衣とが鮮やかな紫色を取り戻した。
弧を描く髪と瞳とを赤く輝かせながら、朱狼は言い放った。

「やってやる。
命を賭しても達國様から妖を引きはがし、美智姫様をお守りする。
オレの名は朱狼、花坐隊の隊長だ」

そしてしぶきを浴びた一夜に、うぜえと言われて飛びひざ蹴りを食らった。

ぶっ倒れた朱狼に、寧火が歩み寄った。
寧火は包帯を巻いた身を押さえて、朱狼に忠告を伝えた。

「達國様に取り憑いている妖は、単純に取り憑いた対象を操作するタイプじゃないです。
対象の闘争心をかき立てて、その対象自身に戦わせるタイプです。
なのでこれから戦うのは妖怪の知能で戦う達國様じゃなくて、
達國様の記憶と経験を持った正真正銘の達國様だってことです。
ふがいない話ですけど、達國様の前にあたしが取り憑かれてましたから、確かなことです」

朱狼は蹴られたところを押さえながら、そうかと答えて立ち上がった。
それから寧火に質問した。

「寧火さんから達國様へ憑依し替えたなら、
達國様からオレに憑依し替えるのも考慮に入れる必要があるな。
妖はどうやって移っていった。
一度憑依を解くのか、特定の部位を介して直接達國様へ移ったのか」

寧火は、え、と声を漏らした。
そうしてしばらく沈黙してから、かあっと顔を赤くしてわたわたした。

「え、あのあの、妖の移り方ですか。
それは、あのえとあの、その、あののののですね」

朱狼は寧火の様子に首をかしげた。
それからふと思い当たって、確認した。

「口移しか」

「……はい」

朱狼は頭をぽりぽりとかいて、一人ごちた。

「やられないように気をつけよう、二重の意味で」

それから朱狼は、反応した蒼鱗に蹴りを入れた。

そのとき妖力の気配が、朱狼の肌をなでた。
朱狼は戦慄に、思わずにやりと歯をこぼした。

「来たぞォ、達國様の妖力が」

朱狼は部屋の出口へ顔を向けた。
達國の姿が見えるより早く、妖術の炎が走り迫った。









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