青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第一九話 かわす目は

朱狼は炎へ走った。
髪と顔を妖術除けの衣で隠して、炎の中へ飛び込んだ。
炎は衣にはじかれて、壁際に追いやられてその場の人間たちに触れずに流れていった。
朱狼は紫桜丸を、鞘のまま構えた。
炎の向こうから来た達國と、朱狼は切り結んだ。

にやりと、達國は朱狼を見下ろしながら犬歯を見せた。
朱狼は赤い瞳で、達國の目を見上げた。
達國の茶色い左目は朱狼の視線と向き合い、紫の右目は妖を吸って衣の紫も炎の赤も無色に変えた。

互いの刀を押し合って、二人は離れた。
達國は封妖石を握りしめた。
それを投げようとしたとき、間に阿牙鳴が割って入った。
肩にかついだ砲筒から、煙幕弾が放たれた。

視界が黒い煙に覆われたとき、達國の頭にふたつの行動パターンが浮かんだ。
このまま封妖石を投げるか後ろに引くか迷って、達國は後者を選んだ。
この選択は正解だった。
達國がさっきまでいた位置に、朱狼は抜刀して走り込んでいた。
もし達國が引かずに封妖石を使っていれば、朱狼はダメージ覚悟で紫桜丸を当てていた。
達國は口角を上げた状態で舌打ちをして、横穴の外へと向かった。

紫桜丸を収めて、朱狼は阿牙鳴に指示を出した。

「追うぞ、阿牙鳴」

阿牙鳴はぎょっとした。
朱狼は煙の中をさっさと走りながら、白納仁に呼びかけた。

「美智姫様と洋國様の護衛は任せるぞ、白納仁!」

白納仁が何か叫んだが、それに構わず朱狼の足音はどんどん前に向かった。
阿牙鳴は慌ててカラクリを背負って追いかけた。
ドタドタと走りながら、阿牙鳴は朱狼に声を張った。

「勝つ手立てはあるんですかい、朱狼さん」

朱狼は走りながら返した。

「ないことはない。
あの目は対妖術戦には無敵かもしれないが、物理的な攻撃には無意味だ。
妖術なしで戦えるおまえの働きが重要だぞ、阿牙鳴」

阿牙鳴はごくりとつばを飲み込んだ。

朱狼は横穴の外へ出た。
出た瞬間、踏みとどまって穴の中へ引き下がった。
妖術の爆発が巻き起こって、穴の出口前が吹き飛ばされた。
朱狼は穴から顔だけ出して、外を見上げた。
回廊の壁や天井は吹き飛んでしまって、上層階に達國の姿が見えた。
達國は月を背負いながら、逆光で朱狼を見下ろした。
犬歯を見せながら、達國は喋った。

「なあ朱狼、オレは今、無性に戦いたくてしょうがねえんだ。
その相手、てめえに決めるぜ。
オレを楽しませてくれそうなのは、てめえくらいしかいねえからなあ」

朱狼ははんと鼻を鳴らして、後ろの阿牙鳴に喋った。

「どうやら、ツイてることとツイてないことがひとつずつあるらしいな。
ツイてることは、達國様が戦闘の対象をオレにしぼったらしいこと。
達國様がオレと戦っている限り、美智姫様に危険がおよぶことはない。
ツイてないことは」

達國は封妖石を投げた。
朱狼は穴を出て回廊の方に逃げ込みながら、叫んだ。

「こんな強い相手と戦わなくちゃいけないことだ!」

封妖石は土砂を呼び寄せて、土石流を巻き起こした。
天井や壁を吹き飛ばす土石流に追われながら、朱狼は走って逃げた。
阿牙鳴も朱狼の後ろで、歯を食いしばって全力疾走した。
下の階へのはしごがあって、朱狼はそれに飛びついた。
阿牙鳴もギリギリでぶら下がって、真上を土石流が猛スピードで駆け抜けていった。

下層階に飛び降りて、朱狼は上方を見上げた。
上の階に、達國の姿が見えた。
達國は紫の目を向けて、今にも朱狼たちのところへ降りようとしていた。
朱狼は後ろ手に封妖酒を封妖石にひたして、息巻いた。

「どんなに強い能力でも、必ずスキがあるはずだ。
視覚でとらえられない妖術、その目で受けられるか?」

朱狼は風の封妖石を発動した。
突風の渦が巻き起こって、達國を四方から縛ろうとした。

達國はにやりと声を突き出した。

「『見える』ぜ、オレの水晶眼なら」

達國はぎょろりと水晶眼を回転させた。
視線に射られた突風は、妖力を吸われて消滅した。
達國は笑いながら、視線を下に戻した。
朱狼と阿牙鳴は、そこにいなかった。

達國ははっとして、視線を上げた。
阿牙鳴が、達國の上方にいた。
阿牙鳴は上層階にカギつきの鉄線を引っかけて、それを引っ張って飛び上がっていた。
阿牙鳴の背中には、カラクリから展開された黒い大きな翼があった。
その翼の上に、朱狼がいた。
朱狼は紫桜丸を抜いていた。
このまま翼をつらぬいて紫桜丸を突き出せば、
妖力を吸われることなく達國に当てることができる算段だった。
朱狼は構えた。
自由落下によって確実に紫桜丸が届く距離まで近づく、それまでの一瞬を待機した。

そのとき朱狼の横に、炎の蝶が止まった。
それは白納仁の作った蝶だった。
朱狼の視線がそちらに向いた。
蝶は、手紙を持っていた。
走り書きされたその内容が、朱狼の意識に来た。

『達國ノ目 二色アリ 銀ノ目ノ能力ハ』

朱狼の視線が、達國に戻った。
そして口から、言葉がこぼれた。

「阿牙鳴、引け。
その目はやばい、すぐに引くんだ!」

達國の右目は、銀色になっていた。
阿牙鳴はすでにその視線を浴びていた。
溶けた。
翼が、衣が、そして阿牙鳴の顔面が、銀の視線を受けた途端に水あめのように溶け出した。
銀の視線は阿牙鳴だけでなく、周囲の回廊もがけの壁面も流動体に変えていた。
とろける阿牙鳴の上で朱狼は、封妖符を発動した。

「転移符!」

朱狼と阿牙鳴が、その場から転移した。



どこかの横穴に、朱狼と阿牙鳴は転移した。
朱狼は転移するとすぐに紫桜丸を持ち直して、灯りもつけないまま阿牙鳴の肌を切った。
妖力を吸われて、溶けた皮膚は固まった。
朱狼はそのまま、衣や翼も切って固めた。

朱狼は灯りをともして、阿牙鳴の姿を確認した。
阿牙鳴はあお向けに倒れて、目を見開いたまま胸を上下させていた。
顔面は皮膚こそ固めたものの、いくらか流れ落ちたせいで火傷のように崩れていた。
衣や翼はもっとひどく、ぼろぼろで特に翼はもはや翼として機能しそうになかった。

荒い息のまま、阿牙鳴は言葉を吐き出した。

「本気で死んだと思いやした。
顔面を溶かされるあの感触、生きた心地がしなかったっすよ」

朱狼はどっかと腰を下ろして、肺の熱気を追い出すように言葉を吐いた。

「あのタヌキジジイ、言っとけよ。
紫の目よりこっちの方が数段厄介だろうが」

「多分白納仁さんは言おうとしてやしたよ、朱狼さんが走ってくときに」

朱狼ははんと鼻を鳴らして、紫桜丸を鞘に納めた。
それから周囲を見渡した。
壁際に、棚が並んでいた。
朱狼は棚の中身を、遠目から見通した。
そうしてから、不意にすっくと立ち上がって棚に向かって歩いていった。

「どうやらここは封妖符の保管庫らしいな。
達國様との戦いに必要だ、もらっていこう」

阿牙鳴はがばりと体を起こした。

「ちょっ朱狼さん、いいんですかい勝手にそんな。
そいつぁ甲の国のものですし、高いんでしょう封妖符って」

朱狼は棚を開けながら平然と返した。

「緊急事態だ、問題ない。
必要なら花坐隊の経費で出す」

朱狼は棚の中を確認して、封妖符の束を引っ張り出して、そしてそれを取り落とした。
ばさばさと、封妖符が散らばった。
阿牙鳴は朱狼の姿を見た。
朱狼の手は、震えていた。
朱狼はもう片方の手で震える手をつかんで、それを胸に押し当てた。
目を閉じて、朱狼は奥歯を噛んだまま震える息を吐き出した。

振り返って、朱狼は尋ねた。

「阿牙鳴、武器はどれだけ残ってる。
戦力を把握して作戦を立てたい」

阿牙鳴はけおされたまま、座り直して答えた。

「煙幕弾が四発に炸裂弾が五発、鋼鉄線が一二本。
爆弾もカラクリ人形もありやすし、翼ももう一枚ありやす。
あと壁走りのカラクリと、封妖石がふたつと、うまくは扱えやせんが小銃も」

朱狼は体ごと向き直って、落とした封妖符を拾いながら確認した。

「オレの方は封妖石がみっつ、封妖符が二枚。
封妖符はここで補充するとして、この武器でどうするか」

そこで朱狼は、左に目を向けて声を上げた。

「あ」

朱狼の視線の先に、隠し通路があった。
隠し通路の戸は開いて、中から銀の水晶眼が光っていた。

朱狼の左半身が、どろりと溶けた。









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