青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第二〇話 罪をみぬいて

阿牙鳴はほとんど反射的に砲筒をかついで、煙幕弾を撃ち出した。
朱狼と達國の間に張った煙は、達國の視界に入ったそばから水晶眼の妖力を受けて液化した。
阿牙鳴は朱狼の体をつかんで、煙が液化しきる寸前に出口へ向かって走った。

達國は隠し通路から飛び出した。
阿牙鳴は追加の煙幕弾を放って、煙幕を張り直した。
張った煙幕は、それも張ったそばから液化していった。
阿牙鳴のひたいを液体が流れた。
それは汗だけではなく、煙幕をつぎ足す一瞬の隙に溶かされた阿牙鳴の皮膚も混じっていた。

達國が煙幕の壁を越えようとしていた。
阿牙鳴は一か八かで、炸裂弾を発射した。
破裂した爆炎は達國に届かず、視線に射られて液化した。
だが阿牙鳴側へ広がった爆炎は、阿牙鳴の体を吹き飛ばして穴の外まで運んだ。
押し出された阿牙鳴は、回廊を通り越して空中へ投げ出された。

阿牙鳴は翼を広げた。
群青の夜空を大きく旋回して、さっきいた位置の一段下の回廊へ向けて滑空した。
そうしながら阿牙鳴は、腕に持った朱狼の体を抱え直して呼びかけた。

「朱狼さん、紫桜丸を。
急がないと溶けた肌が全部流れちまいやす」

朱狼は右のまぶたを持ち上げた。
左半身は皮下組織まで侵食が進んで、溶けた皮膚がはたはたと枯れた林に落ちていた。
朱狼は痛みをこらえながら、紫桜丸を抜こうとした。
そのとき戦慄を感じて、朱狼は声を上げた。

「阿牙鳴来てるぞ、前!」

ほら穴から、達國が出てきていた。
阿牙鳴はまずいと思って頭を下げた。
自身を守った代わりに翼が溶けて、体勢が崩れた。
阿牙鳴は墜落を防ごうと、鉄線を回廊に向けて撃ち出した。
その鉄線は回廊に届く前に、水晶眼によって溶かされた。

「く」

朱狼は落下しながら、紫桜丸で封妖酒の妖力を吸った。
さっき補充した封妖符にも元から持っていた中にも、転移符は残っていなかった。
朱狼は爆発の妖術を使って、回廊目がけて空を蹴った。
その体が回廊へ転がり込もうとしたとき、見えない何かに激突した。
それは封妖符で作られた、護封壁だった。

護封壁にはじかれた二人は、分かれて空中にはね返された。
朱狼はうつ伏せの向きに墜落しながら、首をひねって視線を上方にやった。
達國は空中に飛び出して、その手に封妖石を握っていた。
朱狼の血の気が引いた。
封妖石は巨大な石の柱を召喚し、自由落下よりも速い速度で朱狼の背中に叩きつけられた。

「あ、あ!」

みしりという音がした。
石柱に胴を押されて四肢や首が反り上がるのを、横にいた阿牙鳴は見た。
その朱狼の横顔は残像のように流れて、朽ち木の並ぶ大地まで一気に叩き落とされた。
まき散らされた唾液が、空中に取り残された。

阿牙鳴は身をひねって、背中から落下した。
枯れ枝を折り進み、背中のカラクリを押し潰してようやく枯れ葉散る地面へ墜落した。
阿牙鳴はせきを吐いた。
致命的なケガは防いだものの、落下の衝撃で呼吸は苦しく、
皮膚や衣は枝に引っかけたり水晶眼に溶かされたりしてボロボロだった。
阿牙鳴はあお向けのまま、朱狼に呼びかけた。

「しゅ、朱狼さ」

朱狼は、木の上に引っかかっていた。
太い木の枝が朱狼の左肩に刺さり、血が木の幹を湿らせていた。
皮膚は大きく溶かされて、皮下組織が広く露出していた。
朱狼の首はだらりと垂れ下がり、その口からも血は流れていた。
朱狼を打ち落とした石柱は、別の木に寄りかかって地面にななめに刺さっていた。

浮遊の封妖符を使って、達國はふわりと着地した。
達國の妖力が渦巻いて、木々や枯れ葉をざわざわと揺らし、また達國の元へひるがえっていた。
阿牙鳴は達國の顔を見た。
達國の水晶眼は、紫色のものに変わっていた。
手加減だと、阿牙鳴は達國の表情を見て思った。
行動不能の阿牙鳴たちに銀色の水晶眼を向け続ければ、それだけで決着がついてしまう。
それがつまらないからあえて紫色の水晶眼にしているんだと、そう阿牙鳴は読み取った。

紫の右目をぎらつかせながら、達國は喋った。

「よーう、楽しいなあオイ」

阿牙鳴は白い息を吐きながら、歯を食いしばって起き上がろうとした。
達國は朱狼にも視線をやって、まるでちょっと人待ちをしているような態度で
首に防寒の布を巻いたりしていた。
達國は一度遊ぶように白い息を吐いて、それから口ずさむように言葉を吐いた。

「朱狼はもう限界かねえ。
まだまだ余力はありそうな気がするが、それにしたって体勢を整える時間がいるだろうし。
それをただ待ってんのは退屈だから、やっぱここは」

達國は阿牙鳴に視線を向けた。
氷のように口角を上げて歯をこぼしながら、達國は喋った。

「殺すか、先におまえから」

阿牙鳴はぞくりとして、反射的に飛び起きた。
損傷した体はきしんで痛みを訴えたが、それを気にする余裕はなかった。
阿牙鳴は砲筒を引っ張り起こして、叫びながら弾を発射した。
達國は水晶眼を切り替えた。
破裂した炸裂弾は、一切体を動かさないままに達國に無力化された。
阿牙鳴は封妖石を取り出して、封妖酒をかけた。
達國は水晶眼を切り替えた。
封妖石は妖術を発動する間もないまま力を吸われて、阿牙鳴の手の中で砂になった。
阿牙鳴は達國の目を見た。
達國は茶色い左目を阿牙鳴に向けて、余裕の面持ちでふっと笑った。
阿牙鳴はぎちりと奥歯を鳴らした。
阿牙鳴は再び炸裂弾を発射した。
その炸裂弾が炸裂するより早く、阿牙鳴は封妖石に封妖酒をかけて上方に放り投げた。

「あ、そう来る?」

銀の水晶眼に切り替えていた達國は、にいっと笑って右手を突き上げた。
右手には、封妖符が握られていた。
炸裂弾が爆炎をはじき出し、投げられた封妖石は炎となって上から降り注いだ。
爆炎は水晶眼に威力をそがれ、妖炎は張られた護封壁にはじかれて外に流れた。

炎は枯れ木に燃え広がって、辺りを赤く染め上げた。
達國は水晶眼を紫に切り替えて、赤い逆光に照らされながら阿牙鳴に喋った。

「奇策のネタはまだあるかい、カラクリ技師?」

阿牙鳴は、ぐっと奥歯を噛んだ。
炎のゆらめきを顔に映して、阿牙鳴は視線を達國からはずさないまま、言葉を吐いた。

「あっしからの奇策は、もうねえです。
奇策を期待するなら、後ろのお方に期待すべきでやしょうね」

達國の顔から、笑みが消えた。
それからはっと振り返って、後方を見た。
紫の水晶眼に射られて、妖術の炎の中央がさっとかき消えた。
その向こうに、朱狼がいた。
朱狼は全身を血に染めながら、それよりも赤い瞳で達國を見ていた。
鎮痛剤の丸薬を噛み潰しながら、朱狼は言葉をつむいだ。

「少し、頭から血が抜けた。
これで何も考えずに、全力で戦えそうだ」

朱狼は達國目がけて走り出した。
達國は銀の水晶眼に切り替えて、迎え撃とうとした。
そのとき朱狼は、左手に封妖符を用意していた。
身体強化の封妖符を発動して、朱狼の俊敏性が跳ね上がった。
一度地面を蹴ると、朱狼の体はもう達國の真後ろにいた。
達國は反射的に振り向きながらも、手に隠し持っていた護封壁の封妖符で紫桜丸の一撃を防いだ。
朱狼はすぐに距離を置いて、炎の裏へ逃げ込んだ。
達國は舌打ちして、息巻いた。

「チョロチョロとした小細工なんざ、無意味なんだよ!」

達國は水晶眼を紫に切り替えた。
達國が視線をめぐらせて、炎の壁はたちどころに消滅した。
そのとき達國は、炎の裏に護封壁が張られているのに気づいた。
護封壁は炎と一緒に消滅した。
その護封壁の後ろには、達國が朱狼を打ち落とした、あの石柱があった。

達國は目を見開いた。
寄りかかっていた木はとうに燃え尽き、護封壁の支えも失った石柱は、
達國を押し潰さんとその身を押し倒してきた。
達國は紫の水晶眼で石柱を見上げた。
妖術で作られた石柱は、達國にぶつかる寸前に崩れて砂に変わった。

その石柱の上に、朱狼がいた。
朱狼は紫桜丸を抜いて、いつでも妖力を補給できるよう薬草を口に含んでいた。
達國の瞳孔が開いた。
刀の射程から逃れるだけの時間はなかった。
朱狼は紫桜丸を突き出した。
その紫桜丸が届く寸前、達國の姿はこつ然と消えた。

砂と一緒に、朱狼は地面へ落ちた。
阿牙鳴が朱狼へ駆け寄った。
達國は、朱狼の位置から離れた位置に転移していた。
白い息をもうもうと吐きながら、あざけるように達國は喋った。

「危なかった、今のはマジでやばかったぜ。
だが用心深く転移符を手の中に忍ばせてたオレの勝ちだ。
うまく不意をついたんだろうが、残念だったな朱狼」

朱狼は、ゆっくりと身を起こした。
血と砂にまみれた体から蒸気を立ち上らせながら、朱狼は喋った。

「ああ、残念だった。
だが今ので分かったことがある。
達國さん、あんたの本質は怯えだ。
怯えの気持ちがあったから、あんたは封妖符を握りしめてなきゃ戦うことができないんだ」

達國のこめかみが、ぴくりと動いた。

「なに?」

朱狼は達國の顔を見た。
赤い瞳を達國に向けながら、朱狼は言葉を吐き続けた。

「そもそもあんたが阿牙鳴と戦ってたとき、
オレはあんたが振り向く前に不意打ちする手もあったはずだ。
それができなかったのは、あんたが護封壁の封妖符を隠し持ってると気づいたからだ。
あんたは阿牙鳴と戦いながらも、いつ背中をオレにとられるかとビクビクしながら戦っていた。
そんなのは用心でもなんでもない、ただただ怯えてただけだ」

達國は、無表情のまま朱狼の姿を見下ろした。
朱狼はふらつきながらも二本の足で立ち上がって、言葉を続けた。

「怯える心でオレには勝てない。
オレにも怯えの気持ちはあるが、そんなものは使命の前では瑣末なものだ。
美智姫様を守るという絶対の使命が、オレのちっぽけな恐怖心など跡形もなく踏みにじってくれる。
達國様、あんたにはあるか。
恐怖心を吹き飛ばす絶対の存在が、あんたにあるか。
それがない限り、どんなにあんたが強くてもあんたはオレを倒せない。
はっきり言おう。あんたは、オレより弱い」

沈黙が、辺りを包んだ。
朱狼は達國にまっすぐ視線を向けて、阿牙鳴はその横で達國を見ていた。
達國は、朱狼に視線を向けていた。
そして不意に、ふっと笑い声が漏れた。
その笑い声はどんどん大きくなって、達國は右手で顔を押さえながら騒音のような笑い声を打ち上げた。
笑い声が、空間をうずめた。
やがて達國は笑いやむと、指の隙間から茶色い左目を朱狼に向けて尋ねた。

「その使命、本当に絶対か」

「絶対だ」

「たとえ大妖怪を封印しても、美智姫は死ぬと知ってもか」

「なんだと?」

達國は、くっと破顔してみせた。
獣のような歯をむき出しにして、達國は言葉を突き出した。

「教えてやるよ。
大妖怪を封印しようがしまいが、美智姫の死は変えられねえ。
耀空山で美智姫が自害することが、封印の儀式だ。
大妖怪は耀空山でなく青玉の血、美智姫自身に封印されてるんだよ!」

山から吹き降ろした風が、枯れ葉を吹き上げた。
ふらふらと舞い散る枯れ葉の残骸が、見開かれた朱狼の目の前を横切った。









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