青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第二二話 告げる言葉を

ぼんやりとした視界が、だいだい色の照明を採り込んでいた。
意識はいまだ、薄暗くにごっていた。
ゆらめくのは明かりの光だけでなく、体そのものが水底にいるように感覚がつぐんでいた。

「隊長さん、目が覚めたのお?」

横から声をかけられて、朱狼の感覚はようやくはっきりとしてきた。
朱狼は今、寝台に横たわっていた。

療養室だった。
半球状の土室にはだいだい色の照明が揺れて、
部屋の中央に置かれた湯の張った水がめには、免疫力を高める香草が浮かべられていた。

朱狼はがばりと身を起こした。
その瞬間全身に激痛が走って、朱狼は身を押さえた。
ひたいに乗った冷たい湿布が掛け布団に落ちて、朱狼は両腕に包帯が巻かれているのに気づいた。
左腕には点滴筒と呼ばれる、妖術によって薬液を血管に浸潤させる器具がくくりつけられていた。
朱狼は顔に手を触れて、顔にも包帯が巻かれていることを確認し、
髪が短く切られていることにも気がついた。

隣の寝台にいた李乃が、声をかけた。

「横になってた方がいいわよお。
隊長さん、五日もずっと眠りっぱなしだったんだから」

朱狼は痛む頭と体を押さえて、問い返した。

「い、五日だと?」

李乃は横になったまま、朱狼に顔を向けて答えた。

「そうよお、ひどかったんだから。
最初に隊長さんが運ばれてきたのを見たとき、あたしびっくりして死んじゃうかと思った。
体中ぼろぼろで崩れそうで、ああ一人で無理したんだなって。
そういうあたしはあの目に一発でやられちゃって、こうして今も療養室で寝てるんだから、
ふがいないにもほどがあるって思うけどね」

朱狼は髪の毛に爪を立てた。
瞳がぐらぐらと、そろばん珠のようにゆれた。

朱狼は不意に立ち上がって、土室の外へ足を向けた。
李乃はどこ行くのと声を上げた。
朱狼は一度ふらついて、寝台の横の棚に手をついて、冷水の入った水盤をひっくり返した。
水盤は割れて、磁器のかけらが散らばった。
朱狼は棚から紫桜丸を引っつかみ、鎮痛薬をあるだけ飲んで転がるように駆け出した。

土室の外に出ると、ちょうど寧火が歩いていた。
朱狼はびっくりする寧火に詰め寄った。

「美智姫様はどこだ」

「えっと、あの」

朱狼はこのとき、寧火が挙動不審なのに気づいた。
何か隠している、そう読み取ったとき、朱狼の目がかっと開いた。
朱狼は寧火の首をつかんで壁に叩きつけると、抜き身の紫桜丸を突きつけた。

「教えろ、さもなくば殺すぞ」

寧火は息が止まりそうになった。
見上げる朱狼の瞳は、異様なほど真っ赤にぎらぎらしていた。
寧火は抵抗もできないまま、美智姫の所へ朱狼を案内した。

美智姫は療養室からほど近い書室にいた。
書机についていた美智姫は、驚いて入り口の朱狼を振り返った。
部屋には美智姫だけでなく、達國も、白納仁も、千夜と一夜も、阿牙鳴も蒼鱗もいた。

朱狼は寧火を突き放して、紫桜丸を収めもせずに詰問した。

「美智姫様、答えてください。
大妖怪が美智姫様の中に封印されているというのは本当ですか。
大妖怪を封印するために美智姫様が死ななければならないというのは、本当ですか」

美智姫は、振り返りながら立ち上がった。
ひざ掛けで両手をくるんで温めながら、美智姫はぎこちない笑顔で喋った。

「朱狼、目が覚めて本当によかった」

「答えてください!」

朱狼は強く問い詰めた。
美智姫はびくりと縮こまって、押し黙った。
様子を見ていた達國が、見かねて朱狼に声をかけた。

「なあ朱狼、おまえちょっとマジに考えすぎなんじゃねえのか。
オレがそれを言ったのは、妖怪に取り憑かれてたときなんだぜ。
おまえを動揺させるために、妖怪が言ったうそ八百だってことは考えないのかよ」

「寧火さん」

朱狼に視線を向けられて、寧火はびくりと震えた。
鋭い視線を射向けたまま、朱狼は問いただした。

「寧火さん言ったよな、あの妖怪は闘争心を高めるだけだって。
オレが戦うのは、正真正銘達國様本人だって。
つまり戦いの中で達國様が言った言葉は、間違いなく達國様の言葉だと、そういうことだよな?」

寧火は答えられずに、息がつまって震えた。
達國がそれだってと声を上げようとしたとき、美智姫がそれを制した。

「いいよもう、達國様。
いつかは言わなきゃいけなかったんだから」

朱狼を含めた部屋の全員が、美智姫に視線を向けた。
美智姫は一度目を閉じて、それからしばらくして目を開けて、青い瞳を向けながら朱狼に言った。

「そうだよ朱狼。
大妖怪はあたしの中、青玉の血の中に封印されてる。
そしてあたしは大妖怪を封印するため、耀空山で大妖怪と心中する」

包帯の下で、溶けたはずの肌があわ立つのを感じた。
朱狼は一手、言葉が出なかった。
わき上がった言葉を出せずによどませて、腹とのどと頭で反すうして、
それから赤い視線とともに声を発した。

「なぜ、黙ってたんですか」

美智姫は口をよどませて、それから視線をはずして言葉を出した。

「ごめんね」

「なぜ黙ってたのかと」

朱狼が踏み出そうとしたとき、間に白納仁が割って入った。
白納仁は朱狼を見下ろしていさめた。

「落ち着け朱狼。
激昂する気持ちは分かるが、今までおまえに言えなかった美智姫様の気持ちも考えい」

朱狼は、白納仁の顔を見上げた。
朱狼の瞳孔が、きゅうっと引き締まって開いた。
肩に力が入るのを抑えられないまま、朱狼は言葉をこぼした。

「白納仁。
おまえ、知ってやがったな。
知ってて、黙ってたのか。
オレに何も言わずに、ずっと黙ってたのか!」

朱狼は紫桜丸を振り上げた。
そのとき千夜と一夜が両脇から走り寄って、朱狼の腕を取ってねじ伏せた。
床に押しつけられた朱狼に、千夜と一夜は上から言葉を落とした。

「黙秘いたしましたのは美智姫様のご要望ゆえ」

「ご了承ください」

朱狼は視線を上げて、歯をむいた。

「千夜、一夜」

そのとき千夜と一夜の首に、電撃の輪がかかった。
二人は入り口を見やった。
入り口に李乃が立って、その肩を支えるように、岩砲が両手を置いて寄りそっていた。

「隊長さんを放してあげて」

千夜と一夜は言われるまま、朱狼から手を離して立ち上がった。
李乃は美智姫たちに視線を向けて訴えた。

「あたしも聞いてなかったわ。
どういうことなの。
あたしに言わないのはまだ分かる、花坐隊に入ってそんなに長くないし、近の国の出身じゃないから。
でも隊長さんは」

朱狼はうつ伏せたまま、美智姫を見た。
美智姫は朱狼の視線を避けるように、視線を横に投げたままひざ掛けの中で手をいじくっていた。
朱狼は再び尋ねた。

「なぜ黙っていたんですか、美智姫様」

美智姫は、ばつが悪そうに答えた。

「だって、言ったら朱狼、絶対今まで通りには接してくれないでしょう。
朱狼には、いつも通りでいてほしかったから」

床を叩く音が響いた。
朱狼は歯を食いしばって、握りこぶしを血が出るほど握った。
美智姫の返答は、朱狼が予想したそのままの返答だった。
そのままだったゆえに、朱狼は憤怒していた。

「ふざけるな。
要するに、期待されてないんじゃないか。
言ったら動揺するだとか、言ってもなんの助けにもならないとか、
オレにそういう評価がされたってことじゃないか。
ふざけるな、ちくしょう!」

再び、みたび、床が叩かれた。
朱狼はこぶしを、ひたいを床に押しつけた。
美智姫は視線をそらしたまま、目を閉じてごめんねとつぶやいた。
しばらく呼吸を置いてから、美智姫は朱狼に目を向けて言った。

「でも、どっちにしたって、やることは変わらないよ。
朱狼には引き続き花坐隊隊長として、あたしを耀空山に送り届けてほしいの」

朱狼はきっと目を上げた。

「ふざけるな。
オレはなんのために花坐隊にいるんだ。
美智姫様を守るために仕えてるんだ。
死なすために仕えてるんじゃない」

「命令よ」

「断る!」

怒声が響いて、部屋はしんと静まった。
だいだい色の照明だけが、ゆらゆらとゆれていた。
青い瞳の美智姫は、灰色の表情をして言葉をこぼした。

「悲しいね。
お互いつきあい長いから、どんな返事が返ってくるか聞く前から分かっちゃう。
分かったよ朱狼、あんたがそういう気持ちなら」

美智姫は目を閉じて、すっと深呼吸した。
白納仁と千夜と一夜が、同時に目を閉じてそむけた。
美智姫は息をとどめて、まぶたを開いて、青い瞳を朱狼に向けて宣告した。

「灼の家、神刀の血、朱狼。
あなたの花坐隊隊長の任を解き、あなたを花坐隊から追放する」









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