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青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第二四話 追憶之一 〜朱狼〜

日が落ちて満月が出ても、まだセミの鳴き声がやまない夏の夜だった。

小屋の外で、遠く妖がうねる声が聞こえた。
幼い朱狼は、乳母(うば)の腕の中に抱きかかえられていた。
外をうかがっていた中年の兵士が、ここを離れた方がよさそうだと一同に言った。

外に出ると、妖は存外に近づいている様子だった。
低く鳴いているセミたちが、森をゆする物体に追い立てられ、高い声を上げるのが聞こえた。
乳母の腕にきゅっと抱きすくめられ、朱狼は旅の一団の真ん中に入れられて移動した。

ぬうっと、妖は一団の背後からその身を持ち上げた。
見上げるほどのヘビの妖怪が、彼らを狙っていた。
きつく抱きしめる乳母の腕を、朱狼はうとましく感じた。
妖を見上げる兵士の顔が、意外なほど平穏だったのが、幼心に印象に残っていた。

妖に、ひと筋の切れ込みが入った。

一団とは離れて行動していた男性が、妖に刀を当てていた。
彼の髪は、赤く、ぼうぼうに伸び放題だった。
彼の持つ刀もまた、血糊ではなく、刀身が赤く光っていた。
男性は、刀の名を唱えた。

――駆炎丸(クエンマル)。

赤い刀身に切られた妖は、その全身が炎に変わった。
燃えるのではなく、体そのものが炎に変換されていた。
うめく声は長く響かずに、芯まで炎になって風の中にかき消えた。
こげくさくなってしまったその場から鼻をそむけるように、男は朱狼たちの方へ向き直った。
不精ひげが赤く、目の周りには黒々とくまができていた。
そしてそのまなざしは、他のどの赤よりも赤かった。

朱狼の父、朱顎(シュガク)であった。



朱狼は近(コノ)の国の名家である灼(シャク)の家柄に生まれ、
神刀(シントウ)の血統を有していた。
妖力自己供給型の血統ではなかったが、それに並ぶ評価を得ていた。
神刀の血は生涯に一度、その血を持つ者に妖刀を発現させる。
通常それは、十二、三歳ころのこととなる。

そして朱狼は、紫桜丸をわずか五歳で発現させる。

その日の前日、朱狼の母は、お産のため分娩室にこもっていた。
朱狼にとっての弟が、朱顎らにとっての次男が、産まれる予定だった。
その出産が難航して、母子ともども亡くなった。
朱狼は母と弟の死体を、直接見ることはなかった。
ただ分娩室を出入りした人間が、隠しきれないほどおぞましく血に染まった布を運ぶのは目にした。

翌日の早朝、朱狼は妖刀を発現させた。
歴代の血統者の中で、最も若い年齢での発現だった。



特殊血統はその強い力の代償として、出産時の不幸や幼少時の死亡が極端に多かった。

甲(コウ)の国の洋國は、第五子・達國を除く四人の子をすべて幼児期に亡くしている。
千夜と一夜が持つ結(ムスビ)の血統は、双生児の出生率が極端に高く、
強い妖力を持つ子を二人も身ごもることに母体が耐えきれず、彼女らの母は分娩後死亡した。
近の国の領主・智久(トモヒサ)の妹、美智姫の叔母にあたる人物も分娩時に死亡し、
そのとき産まれた男児が養子となって、現在美智姫の兄となっている。

そして美智姫の母も、第二子の出産で子とともに命を落とした。
悲運にも、朱狼の母が亡くなったその日の出来事であった。



庭の池の照り返しを受けて、夏の日差しが天井の木目にさやさやと波打っていた。

七歳の朱狼は、青い畳の上に一人仰向けで転がっていた。
張り替えられたばかりの畳は新鮮で、立ち上るイグサの香りが、
ほどいた朱狼の赤髪に染み入っていた。
朱狼はまっすぐに、真上に右手を伸ばしていた。
その手に握られて、朱狼の視界を横断するように、紫桜丸があった。

神刀の血によって作られた妖刀は、それ自身が独立した魂を持っていた。
妖刀はその能力を、固有の持ち主の魂と触れ合っていなければ発揮しなかった。
そして妖刀は生物のように、自己の力で傷を修復し、持ち主の体に合わせて成長した。
五歳で発現した朱狼の紫桜丸は、そのときも今も、朱狼の身長にぴったりと合った寸法だった。

さざなみのような吐息をついて、朱狼は右腕を畳の上に投げ出した。
そのとき庭の方から、朱狼に声がかかった。

――剣の稽古をお願いいたします、朱狼様。
  美智姫様も、ケヤキの庭ですでにお待ちです。

朱狼は寝転がったまま、そちらに顔を向けた。
一〇歳の千夜と一夜が、互いに手をつないで無表情のまま朱狼を見ていた。
朱狼は立ち上がって、陽光照らす縁側に向かって歩いていった。

朱狼と美智姫と千夜と一夜は、幼いころから四人で行動することが多かった。
みな名家の出身で、同じくらいの家柄と年齢の子があまりいないこともあっただろうが、
意識はしていなくとも、四人ともが母親を失っているという共通点は少なからず影響していた。

四人が親しく過ごすことを、あまりよいこととしない大人もいた。
大人たちが心配したのは、彼女らの誰かが朱狼と恋仲にならないかということだった。
特殊血統同士の婚姻は、近の国でもほかの国でも厳しく禁じられていた。
もともと高い出産時の危険が、両親ともに特殊血統であるとさらに高まるからである。
文献をひも解けば、それは妖術使いが妖術使いを食人することと同列に書かれていた。
すなわちそれは、妖怪変化の禁術であった。



大人たちの心配をよそに、四人は夏も冬も共に過ごし、共に遊んだ。
懸念が当たったというか、千夜が朱狼にあわからぬ思いを寄せてみたりもしたが、
それでもみな学業はきちんといそしんで、特殊血統同士の婚姻ができないことも理解していた。
このころ蒼鱗とも出会い、多少歳は離れていたが、ときどきは四人の中に混じったりもした。
じゃれあいの日々の中で、朱狼が美智姫に対してなんの感情もいだかなかったかと問えば、
それは朱狼自身が否と答えるところだった。



一二歳の初夏、朱狼は花坐隊に入隊した。
このときの隊員は、朱顎、朱狼、白納仁、岩砲、
それに朱顎と同年代の妖術使いである嵐閑(ランカン)の五人であった。
近の国に親衛隊はいくつかあったが、そのうち花坐隊の仕事は、
領主の家柄である近の家のうち、直接国を統治する立場でない人間が遠征をする際の護衛であった。
朱狼在籍のころは主に美智姫が該当し、朱狼は美智姫のお供をし、
美智姫は各地で青玉の血の力を使い妖の封印を行った。

その年の初冬、李乃が花坐隊に入隊した。
それに交代するように朱顎と嵐閑が抜けて、朱狼が隊長となった。
このとき大陸では、国同士の大規模ないがみ合いが起きていた。
朱顎と嵐閑は近の国の兵士として、このいがみ合いにかかわることとなった。



そして翌年の夏、美智姫は一度目の暴走をした。

前後の状況を、朱狼ははっきりとは覚えていない。
ただ何が暴走のきっかけになったかは記憶に残っていたし、
美智姫の暴走を紫桜丸の力で止めたことも理解していた。
暴走を止めた後の二人の会話は、はからずも二度目の暴走を止めたときと同じ内容であった。

――ごめんね、朱狼。

美智姫は青い瞳で、朱狼を見つめていた。
二人は数語を交わし、美智姫は眠りについた。
朱狼も吸った妖力に体をむしばまれて、意識を失った。



朱狼が完全に回復するまで、三週間をついやした。
その間に近の家や他の権力者は、美智姫の暴走について議論を交わし方針を固めていた。
朱狼自身学業の中で学んではいたが、大妖怪について近の家の者から詳しく、
しかし真実は伏せたまま伝えられ、花坐隊は大妖怪封印の任務を負った。
侍女兼通信係として千夜と一夜が同行することになり、
白納仁の推薦で阿牙鳴が、美智姫の推薦で蒼鱗が入隊した。

こうして急ごしらえの花坐隊は、周期はずれの大妖怪封印に旅立つこととなった。
旅立ちのとき、朱狼は美智姫の謝罪を聞いた。

――ごめんね、朱狼。

謝罪の意味を、このときの朱狼は知らなかった。

朱狼一三歳、美智姫一五歳の晩夏であった。









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