青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第二六話 妖の群は流れ成し

朱狼以外の全員が立ち上がった。
朱狼は問題ないと言って、自分の胸をうかがった。
黒い腕は朱狼の体を傷つけることなく、ただ透過していた。
腕はぬるぬると朱狼の体から突き出されて、次に頭が出て、胴が続き、足が現れた。

真っ黒い、向こう側が透けて見える人型が、そこに立ち上がった。
人型は何をするでもなく歩き出して、警戒する達國たちを素通りして、反対側の壁に消えていった。

「何あれ!」

見えなくなってから、李乃が声を上げた。
朱狼は両手をこめかみに当てて呼びかけた。

「李乃、達國さん、少しオレから離れて。
何か様子がおかしい、周囲の妖の気配を探ってみる」

朱狼は神経を研ぎ澄まして、広い空間に気をめぐらせた。
気配を察知して、朱狼はつぶやいた。

「なんだこれは、いっぱいいるぞ。
外だ」

朱狼は立ち上がった。
李乃に体を支えられながら外に向かい、達國と岩砲もついていった。

外に出ると、妖の群れが視認できた。
強くなった雪のもと、黒い雲の底に張りついて雑多な妖が同一方向へ向けて飛んでいた。
雪積もる地上にも妖の姿は散見し、朱狼たちの立つ回廊にも、貧弱な妖がはいずっていた。
それらすべてが、同じ方向に向かって進んでいた。

異様な状況に、朱狼たちは言葉もなく光景を見渡した。
ときどき吹く風が、白い吐息を引きちぎって雪とからめ合わせた。
状況をよく飲み込めないうちに、唐突に空にいた妖の二体が争いを始めた。

回避した朱狼らのいた場所に、争う二体の妖がもつれ合いながら落ちてきた。
衝撃が回廊を震わせ、落下しかけた朱狼の体を岩砲が片手でつかんだ。
二体の妖のうちの一体、赤黒い体色をした巨大鳥が、最寄りにいた達國に眼光を向けた。

悲鳴のような咆哮を上げて、巨大鳥の脚が肉食獣のような力で回廊を蹴った。
よけきれない達國に牛馬に匹敵する重量がぶつかり、
そのまま達國の体は巨大鳥と一緒に空中へ飛び出した。

「達國様!」

李乃の悲鳴を耳にかすめて、達國は痛みに顔をしかめながら口角を上げた。
巨大鳥は金切り声を上げて身をもだえさせた。
達國の眼帯ははじけ飛んで、紫色の水晶眼が巨大鳥から妖力を引きずり奪い取っていた。
達國は巨大鳥をつかんで、体勢を入れ替えた。
こと切れた巨大鳥の体をクッションに、達國は積雪の上に着地した。
雪と羽毛が舞う空に右手をかかげて、達國は遅れて落ちてきた眼帯をつかみ取った。

回廊の上には、争っていたもう一体の妖である六つ足の竜がいた。
竜は血走った目を向け、よだれをまきながら李乃に向けて突進した。
李乃は電撃をまとって受け流し、竜にはかすり傷が、李乃には衣の裂け目が残った。
竜は空中で旋回し、再び李乃たちに狙いを定めて突進した。
狭い回廊で回避は不可と判断した李乃たちは、空中に飛び出して回避した。
李乃の電撃が三人の体を包んで減速し、全員が無事に雪の上に降り立った。
朱狼はこのとき、李乃の顔がわずかにしかめられたのを見た。

李乃が上空の竜へ顔を上げると同時に、岩砲は地上の敵に視線を向けた。
雪の上に、鋼鉄の鎧で装甲されたイノシシがいて、錯乱したように岩砲たちに威嚇の牙を向けていた。

竜とイノシシとが、同時に突進してきた。
岩砲はイノシシを正面から受け止め、李乃はかわしながら竜に電撃を浴びせた。
李乃の腕に傷が増え、竜は身震いしながらなんでもないように空中へ身をひるがえした。
朱狼は紫桜丸を竜にぶつけていたが、
体力の回復していない朱狼の剣では竜の硬い皮膚を切ることができなかった。
竜はうろこを逆立てて、回転しながら再び突進をしかけてきた。
李乃は妖力を両手に高ぶらせて、ありったけの電撃を竜に向かって突き出した。
電撃は竜に悲鳴を上げさせたが、攻撃を止めさせるほどの威力はなかった。
李乃の背筋が凍った。
攻撃直後で動けない李乃の、それに迫る竜の正面に朱狼が割り込み、致命傷を食らった。

岩砲は鋼鉄のイノシシと押し合いをしていた。
イノシシに引く様子がまったくないため、岩砲は上体を反らせてイノシシを後方に投げた。
イノシシは空中で体勢を直して雪の上に着地し、再び突進をしてきた。
迎え撃とうと構えた岩砲に向かって、イノシシは口から炎を吐き出した。
岩砲はひるんで、体勢が崩れた。
イノシシは一気に突進して、岩砲の腹に鋼鉄の牙をぶち当てた。
牙は、岩砲に致命傷を与えなかった。
岩砲の屈強かつ分厚い腹筋は、牙の先端を飲み込むだけで完全に勢いを殺していた。

岩砲はひざ蹴りを放った。
丸太のような径の脚がイノシシを蹴り飛ばし、がけの壁面にぶつけた。
イノシシはひるまず雪の上に立つと、再度炎を吐き出した。
炎は岩砲に届かず、しなびるように立ち消えた。
岩砲は視線を横にやった。
達國が紫の水晶眼を向けて、炎から妖力を吸い取っていた。

イノシシは達國に狙いを変えて突進した。
達國の意図を読み取った岩砲は蹴りを放ち、イノシシを空中に蹴り上げた。
達國は指で右目をなぞりながらつぶやいた。

「この妖怪みたいに鎧みたいなもんで全身防御されちまうと、
視線が中まで届かないから妖力を吸えないのがこの水晶眼の弱点だな。
まっ、もう一色の方があるから、弱点はセルフカバーされるけどよ」

イノシシが悲鳴を上げて、体が溶けだした。
達國は銀色の水晶眼で、射抜くようにイノシシに視線を浴びせた。
イノシシは溶け続けながら着地して、しゃにむに達國へ突進した。
達國はバックステップで距離を開けながら銀の視線を照射し続けた。
イノシシは走りながら溶け続け、やがて足を失い倒れ込んで、
そのまま全身が溶けて積雪の染みとなった。

達國は眼帯をつけて、岩砲に顔を向けた。
岩砲は、達國を見ていなかった。
岩砲の視線を追って達國は朱狼と李乃の姿を見つけ、口から言葉がこぼれた。

「なんだよ、それ」

李乃は朱狼の体を抱いて、雪の上にひざをついていた。
かたわらには、しなびて死んだ竜の死骸が転がっていた。
朱狼の右手には、紫桜丸があった。
右腕の包帯がほどけて、風にさらされて降雪の中をひらひらとなびいていた。
その腕の皮膚は、きれいに治癒していた。

「使うなと言っていただろう、李乃」

つぶやいた朱狼の言葉は、強まった風に流されて切れぎれになった。

「ごめんなさい、隊長さん」

李乃は涙を流して、朱狼の体を抱きしめた。
李乃のひたいに、縦にぱっくりと切り込まれた裂け目が生じていた。
裂け目の周囲の肉は盛り上がってくちびるのように厚くなり、裂け目の奥から妖力があふれていた。
その妖力の量は、暴走状態の美智姫にも匹敵するものだった。

朱狼は李乃の腕をすり抜けて、立ち上がった。
竜の突進で受けた致命傷は、その痕跡すら残っていなかった。
朱狼は腕の包帯をほどいて、風にたなびかせた。
左右どちらの腕も、溶けた傷は見当たらなかった。

治癒の妖術。
それが李乃の第二の妖術であり、美智姫暴走の引き金になったゆえ封印された力であった。









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