青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第三三話 ナニカシタクテ、

環状の構造をした青輪大陸において、代表的な山脈がふたつあった。
ひとつは大陸の東側に位置し、
大陸で一番高い山である風楼山(フウロウザン)をようする翠羅(スイラ)山脈。
もうひとつは大陸の西側に位置し、
大陸で二番目に高い山である耀空山(ヨウクウザン)をようする玖陀(クダ)山脈。
植物などの生物資源が豊富な翠羅山脈に対し、玖陀山脈は鉱物と妖にあふれていた。

一説には、耀空山は現世と冥界をつなぐ力があるとされた。
大妖怪の封印に、それが一助になったといわれていた。


   *


起伏の大きな原生林に、炎の蝶が幾羽も舞っていた。
白納仁は蝶と意識を共有しながら、指示を飛ばした。

「竜の方向、接近あり!」

散らした蝶の中に方向指示用に混じらせた炎の竜、その方向から、
巨大な角を振り上げてシカの妖怪が襲いかかってきた。
白納仁は護封壁の封妖符を発動した。
護封壁にぶつかったシカは、阿牙鳴が砲筒を発射する間もなく護封壁を蹴って跳躍した。
そのシカの動きを眼で追おうとした白納仁は、別の気配を感知して声を張った。

「スズメの方向もう一体!」

炎のスズメを配置した方向から、牛馬ほどの大きさのニワトリの妖怪が現れた。
ニワトリは尻尾だけが蛇のような長い尾で、先端にこん棒のような骨の塊があった。
それに一番近い位置にいた美智姫の前に千夜と一夜が割り込み、
その前に蒼鱗と、補充要因として花坐隊に加えられた寧火とが割り込んだ。

ニワトリの妖怪を蒼鱗たちに任せ、白納仁はシカの動きを追った。
シカはゆるやかにうねる木の幹を蹴飛ばし、赤く光る蝶たちの間を抜けて空中に躍り出すと、
黒い眼光を一度向けたのち白納仁たちに向けて頭を振った。

角が、輪切りにされたように細かなパーツに分かれた。
それらはひとつひとつが羽を広げ、鉄色の甲虫に変わった。

「む」

白納仁は腕を振って、蝶たちを密集させた。
甲虫の群れは蝶の群れに突っ込み、
炎に焼かれる隙すら見せずに刃物のような鞘翅(さやばね)で蝶たちを切り裂いた。
攻撃の手を強めようと白納仁が動いたとき、後ろで衝撃音がした。
次の瞬間、吹き飛ばされた蒼鱗が白納仁の背中にぶつかり、二人して倒れ込んだ。

「このアホウが」

「すみません」

蒼鱗は、左腕を折られていた。
内臓まで衝撃をもらったらしく、口の端から血が流れていた。
動きの止まった二人に向かって、甲虫の群れは飛来した。
その間に、阿牙鳴が立ちふさがった。

「うおおおお」

阿牙鳴は砲筒を発射した。
爆炎が視界を赤く焦がし、甲虫を取り巻いた。
甲虫は爆炎にも耐えた。
爆炎を突き破り、白納仁たちに届かせまいと仁王立ちする阿牙鳴にぶつかり、
そして切り刻んだ。

「阿牙鳴っ!」

美智姫が叫んだ。
阿牙鳴は全身に切り傷を作り、くずおれた。

阿牙鳴に追撃を加えようと、シカ本体が動いた。
その前に寧火がすべり込み、土の封妖石を放った。
土石流が巻き起こり、シカの突進をはばんだ。

ニワトリはどうなったのかと、白納仁は視線をやった。
ニワトリは泡を吹いて倒れていた。
尻尾に、細かな彫刻をほどこした蒼鱗の刀が刺さっていた。

折れた左腕を押さえながら、蒼鱗は解説した。

「特殊剣、罪喰樒(ツミハミシキミ)。
彫られた彫刻に毒を染み込ませ、軽く切るだけで相手をしとめる一撃必殺の刀です」

シカが土石流を突き破った。
阿牙鳴が立ち上がり、砲筒を振り回して追い払った。
甲虫の群れは再び空中で集まり、攻撃態勢をとった。
白納仁は寧火に歩み寄り、新しい炎の蝶を生み出しながら言った。

「蝶が切られる感触を読み取ったが、きゃつら体が鉄でできておるようじゃ。
大火力で焼き殺せるが、ワシの力では火力が足りん。
手を借りれるかの」

「はい」

甲虫の群れが、再度急下降してきた。
真っ先に美智姫が動こうとしたのを見て取って、白納仁が素早く美智姫と甲虫との間に割り込んだ。
別の妖術を発動するヒマはないので、白納仁は炎の蝶たちを集めて壁にした。
シカ本体が襲い来るのを、阿牙鳴がけん制し、その両脇で千夜と一夜が投石などで援護した。
甲虫が炎の壁を破るのに合わせて、白納仁は美智姫を抱えて後退した。
その間に、寧火は妖術発動の準備をした。
封妖酒を頭からかぶり、髪の毛に染み込ませた。
栗色の髪の毛が蛍光を発し、妖力を高ぶらせて、寧火は唱えた。

「妖術肥大の妖、励(レイ)!」

髪の毛が立ち上がって、先端から蛍光した妖力が飛び散った。
妖力は炎の蝶たちに当たり、それらを肥大化させた。
一羽一羽が扇のように肥大化した蝶は、甲虫を包み込んで丸まった。
炎に抱かれた甲虫はまともに熱を食らい、体が融解して焼け落ちていった。

甲虫がやられたのを見て、シカの動きが一瞬止まった。
その隙を突いて、阿牙鳴は砲筒を発射した。
シカは直撃だけはかわし、爆風に押されたのもあいまって高台へと跳躍した。
着地したシカは、その場を前足で叩いて掘った。
掘り返した地面から、赤黒い石の塊が出てきた。
それは天然の封妖石だった。
白納仁らがぎくりとする間に、もうシカは石に妖力を送り込んでいた。

しかし封妖石は、発動しなかった。

状況を白納仁が、一番最初につかんだ。
美智姫が地面に手をつき、妖術を送り込んで封妖石を封印していた。

封妖石が使えないと判断するや、シカは身を震わせて妖力を体表に集めた。
体毛が逆立ち、鋼鉄に変わった。
白納仁はとっさに、寧火に防御の指示をした。
シカは跳躍し、白納仁たちの頭上に躍り出て、鋼鉄の体毛を散弾のように振りまいた。

寧火は腰に提げた革のかばんから、封妖符を引き抜いた。
特殊加工がされたかばんは、封妖符を引き抜く時点で封妖酒が染み込む構造になっていた。
よどみなく護封壁が発動され、体毛攻撃は花坐隊の寸前で届かずに終わった。

白納仁はこの間に、阿牙鳴から装備を借りた。
シカの着地点を見定めて、白納仁は粘着弾を投げた。
粘着弾は見事にシカの足元に落ち、粘着性の液体をばらまいてシカの足にまとわりついた。
行動不能になったシカがもがいている間に、白納仁は攻撃の指示を千夜と一夜に出した。
シカをはさんで千夜と一夜が立ち、妖力を高めた。
二人の間で、妖力のひずみがシャボン液のように光をゆらめかせた。
ゆらぎは収束し、シカの体を横切って水平に浮かぶ妖力の円盤になった。

シカが粘着液からのがれる寸前、妖術が完成し、二人は唱えた。

「次元鏡(ジゲンキョウ)」

妖力の円盤に沿って、空間が切断された。
シカは両断され、絶命した。
千夜と一夜が力を抜いて円盤が消滅し、死骸の上半分が、どさりと地面に落ちた。

戦闘が終わり、原生林は静けさを取り戻した。
寧火がシカの死骸を見ながら、感嘆の声を漏らした。

「すごい切れ味。
こんなによく切れる妖術、見たことないですよお」

寧火に顔を向けて、千夜が無表情のまま説明した。

「次元鏡は次元を歪曲させ、空間ごと一切を切断する妖術です。
対象の硬軟の影響なく絶対的な切断を行えますが、発動まで時間を要し、
妖力の消耗も激しく私どもの通信に影響を及ぼすため、多用はできない代物です」

白納仁が歩み寄って、指示を出した。

「千夜と一夜は、負傷した阿牙鳴と蒼鱗の手当てを。
寧火はすまんが、シカが掘り出した封妖石を回収してきてくれるかの」

「はい」

指示を受けた三人は、それぞれ作業に取りかかった。
美智姫も千夜たちを手伝おうとして、白納仁に止められた。

「あたしも手当ての手伝いを」

「美智姫様は、待機していてくださればよい。
それよりご自身こそ、手当てが必要でございましょうに」

「え、あたしは」

美智姫の背中を、白納仁が叩いた。
美智姫は前につんのめり、それからせき込んだ。
血のしずくが、口の端から舞った。

寧火や蒼鱗が、驚いた顔で様子をうかがった。
白納仁は美智姫の肩を支えて、たしなめるように言った。

「この場所は、大気に濃厚な妖力が満ちておる。
それに大妖怪が封印された場所も近い。
むやみに妖術を使うと、大妖怪を刺激してお体に障りますぞ」

「分かってる」

美智姫は、手で口元をこすった。
白い指に、血の跡がすれて広がった。
白納仁は、薬の支度をした。

美智姫はその間、誰もいない方向へ視線を向けて、ぼそりとつぶやいた。

「分かってるけど」

美智姫の目が、くっと細まった。

炎の蝶はひらひらと舞い続け、美智姫の藤色の旅装束にも、濡れたような黒髪にも、
白磁のような白い肌にも、そして青い瞳にも、赤さを落とした。









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