青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第三五話 タダ、ムリョクヲシル。

花坐隊の全員が、反射的に背を寄せ合って一か所に固まった。
美智姫は周囲の地面に目を走らせた。
地面は静まり、もぐっていった妖の気配は感じられなかった。
食われた阿牙鳴がどうなったのか、そのことが美智姫の動悸を速めた。
炎の蝶は二層に分かれ、花坐隊の周りを取り囲む層と、散らばって周囲の警護をする層ができた。

状況を見て取って、白納仁がつぶやいた。

「地面の下の妖となると、この蝶たちでは探すことができんな。
水には水で対抗するかの」

懐から封妖石を取り出して、左手で握って手のひら側を下に向けた。
その手の甲に、封妖酒を垂らした。
封妖酒は封妖石を経てしたたり、石の中に封じられた水の妖と混じってふくれて落ちた。
落ちた水塊は、地面につくと個々個々と妖怪に変わった。
妖はミミズの形となり、地面にもぐって敵を探しに向かった。

白納仁はひたいに指を当てて、意識を集中した。
白納仁は今、ミミズと感覚を共有していた。
ミミズが得た情報を読み取りながら、白納仁は喋った。

「妖が地中を動き回った形跡があるの。
土の中を水中のような環境にできるのか、かなりのスピードで動いておるらしい。
方向は竜の方向、そこから接近して、うっ」

白納仁は指を離した。

「食われた。
ミミズの半分を持って行かれたわい。
じゃが阿牙鳴は無事なのが見えた。
妖の腹の中で、風の封妖石を使ったのか、空気の塊に入ってしのいでおった」

阿牙鳴が無事と聞いて、美智姫はひとまず安堵した。
白納仁は残ったミミズで、引き続き地中を探った。

「どこへ行った。
土の中を動いておったのに、急に姿を消しおった。
まさか遠くへ離れたのではあるまいな」

地中に残った痕跡を頼りに、白納仁は単独で歩みだした。
道筋は、花坐隊から離れていっていた。
その足跡(そくせき)が、あるところで急にたどれなくなった。
白納仁はその場所で足を止めた。
地面の起伏が盆状にへこんでいる場所で、すぐそばにらせん状をした大木があった。
白納仁は途方にくれて、気の幹に手をつき、
反対側の手をひたいに当ててなんとか地面の痕跡を探ろうと集中した。

その瞬間、美智姫が叫んだ。

「白納仁上よ!」

白納仁は顔を上げた。
木の表面が水面のように揺れて、ヘビが飛び出した。
かわす余裕はなかった。
白納仁はヘビに飲まれ、そのまま地中へ引きずり込まれた。
美智姫は妖力の塊を発射した。
それはヘビが地中に消えるのに間に合わず、木の幹に当たって石化するのみに終わった。

美智姫が、一歩駆け出そうとした。
それを蒼鱗が制止した。
白納仁を追おうとする美智姫を、蒼鱗は抱き寄せてさとした。

「白納仁さんは、食われても死なない手段を理解しています。
ここは落ち着いて、確実に妖を倒せるようにしましょう。
ちゃんと白納仁さんは、次の一手のための布石を敷いています」

蒼鱗が周りを指し示した。
炎の蝶が固まって動き、何かを追うように動いた。
それは白納仁を追跡しているのであり、つまりはヘビの動きを追尾しているのだった。
それを理解して、ヘビが次に顔を出したときに迎え撃てるよう、寧火は封妖石を構え、
美智姫も蒼鱗に抱かれたまま妖力を集中させた。

抱きながら、蒼鱗は美智姫を触診した。
脈は速く、病的な汗をかいていた。
それはこの環境で妖を連続で使ったために、早くも暴走のきざしが表れているのだった。
長引かせられない、と、美智姫を抱く蒼鱗の指がわずかに緊張した。

蝶の群れが接近してきた。
美智姫たちは構えた。
相当の速度で、蝶の群れは一直線に突っ込んできた。
そしてそのまま美智姫たちの真上を通り過ぎて、反対側へ飛び抜けてしまった。

「えっ?」

タイミングをはずされて、美智姫たちは振り返った。

そのとき、地面が沈下した。

足をとられて、全員の体勢が崩れた。
彼らの真下の地面を液状化することで、地盤を落としたのだった。
蝶の群れはそばの木の幹を駆け上がり、高い位置で幹が水面のように揺れた。

一番体勢を崩されなかった蒼鱗が、真っ先に立ち上がった。
他の面々は完全に転倒して、すぐには起き上がれなかった。
蒼鱗は見上げた。
揺らいだ木の幹は破砕した。
その破片が、鋼鉄を含んだ粗大な木の塊が、美智姫ら目がけて火急の速度で放り出された。

蒼鱗は前に出た。
ヘビ自身が突撃してくるような妖による攻撃と違い、物理的に物体を飛ばすような攻撃では、
美智姫の封印を使っても石に変わるだけで防御はできない。
寧火はすぐに行動できる体勢でない上に、
攻撃用に構えていた炎の封妖石では重い投擲物をさえぎるようなことはできない。
すぐに動けるのは蒼鱗だけだが、蒼鱗にはほぼ妖術の心得はない。
できるのは、身を張ることだけだった。

美智姫の叫び声が聞こえた気がした。
それを認識するより強烈に、痛みが走った。
木塊に自分からぶつかる際に、すでに骨折している左腕をぶち当てていた。
痛みが意識を白く飛ばしながら、蒼鱗は吹き飛んだ。
吹き飛びながら、ヘビが素早く顔を出して炎の蝶を消し飛ばすのが見えた。

立ち上がるのも半ばに、美智姫は蒼鱗に駆け寄ろうとした。
沈下した地面はもろく、手足をつくと崩れてうまく前に進めなかった。
蒼鱗が、後ろだと叫んだ。
美智姫が振り返ると、一度地上に現れたヘビが地中にひるがえるのが見えた。
液化した土壌が、津波のようにせり上がって美智姫たちに上から迫った。

美智姫は妖力を放った。
土は石化し、石片となって美智姫たちの周囲にばらばらと降り積もった。
それによって、蒼鱗までの道もふさがった。
のどに上がってきた吐血を、美智姫は飲み下して隠した。

蒼鱗が食われると、真っ先に全員が思った。
美智姫の妖力弾を当てる通路すらふさがった現状では、蒼鱗を守ることはできない。
誰かが蒼鱗の元へ行かなければ、なすすべなく蒼鱗が食われて終わりである。

では、誰が。

突発的に、美智姫は寧火の革袋から転移符を引っこ抜いた。
そうして一瞬、逡巡した。
美智姫が蒼鱗の元へ転移すれば、ヘビが襲ってきても封印の妖力を当てて撃ち倒せる。
しかし美智姫が蒼鱗の元へ向かったとき、ヘビがそちらを襲う保障はない。
確実に決定打となりうる封印の妖術の危険が去ったなら、ヘビはむしろ、
千夜・一夜・寧火の三人をまとめて襲う可能性が高い。
そうなったとき、封印以外の妖術でヘビに有効打を与えられないなら、
飲み込まれるのを防ぐすべはない。

その逡巡の隙に、転移符は取り上げられた。

「最善の方策は、妖を堅実着実に撃破すること。
そのために、これが最善の行動と愚考いたしますゆえ」

美智姫と、後ろにいた千夜とが、同時に何か叫びかけた。
そのヒマもなく、一夜は取り上げた転移符を発動した。
一夜の姿が消え、外の気配で、蒼鱗と一緒にヘビに食われたことが察せられた。

起爆符を、寧火はがれきに貼った。
爆発の妖術が石片を吹き飛ばして、視界が開けた。

つとめて無表情で、千夜は述べた。

「次元鏡を使用した影響で、一時的に千夜との精神の接続が断線しておりました。
それゆえに千夜の思考を認識できず、千夜の愚行の阻止が適わなかった次第です」

美智姫は、歯噛みした。
それからき然として、千夜と寧火に指示を飛ばした。

「二人とも、早急に妖力を補給して。
寧火はあたしの妖術強化を、千夜は一夜との通信を回復させて。
次の一撃で、確実に仕留める!」

二人は是を返した。
各々封妖酒で妖力を補給し、寧火は妖術強化の妖術を唱えた。
美智姫は右腕を伸ばして、妖術を指先に集めながら、述べた。

「あたしの妖術は石化の能力。
もともと、石や土に親和性がある。
精度を高めた妖力弾なら、地面を浸透し、空気中を進むがごとくぶっ放すことができる。
千夜、あなたが撃って。
一夜との通信で狙いを定めて、あたしの腕を銃身にして。
渾身の一撃、必ず命中させて」

千夜は言葉を返さず、美智姫の腕を取った。
美智姫に背中から覆いかぶさるようにして、伸ばした美智姫の右腕に自分の右腕を添わせ、
人差し指を立てた右手を、ちょうど小銃を握る要領でつかんだ。
寧火が妖術を唱え、美智姫の妖が増幅した。
落下の無重力のような感覚が、美智姫の妖の影響か、それとも状況の緊迫感ゆえか、
ともかくその場に満ちた。
その中で一夜は、ただ沈黙したまま狙いを定めた。

つながった魂。
ヘビの動きに連動してうごめく、一夜という照準。
上下左右にはいずる軌跡。
その動きが、こちらへ向かった――弾丸の軌道からもっともぶれにくい挙動になった瞬間。

千夜は引き金を引いた。

強烈な妖力弾が、閃光を伴って発射された。
妖力弾は布地に打ちつけられた水流のように、地面に潜行した。
当たった衝撃があった。
地面が、重たく震えた。
それはヘビの断末魔だった。

ヘビが地上に顔を出した。
叫びを上げながらのたうち回り、その身もどんどん石化して凍りついていった。
ヘビは腹の中身を吐き出した。
飲み込まれていた、蒼鱗や一夜や白納仁や阿牙鳴が、土の上にぼたぼたと落とされた。
やがてヘビは、全身が石化して沈黙した。

ううっと、美智姫はうめいた。
千夜と寧火が、美智姫の顔を見た。
顔を見ると同時か早いくらいに、二人は肌があわ立つような妖のゆらぎを感じた。
暴走のきざしだった。
美智姫の瞳孔は開き、ひたいに突起が浮き出ていた。
千夜は身の危険を感じて、寧火は純粋な恐怖から、美智姫から反射的に後ずさった。

その二人の間を、蒼鱗が抜けた。

手に持った布を、蒼鱗は美智姫の口に当てた。
布には薬が染み込ませてあった。
薬を吸い込んだ美智姫は、くらりと意識がにごった。
高ぶっていた妖力は飛散し、生じかけていた角は、生じずに溶けて消えた。

「すみません、美智姫様。
少々強い薬を使わせていただきました」

美智姫はせき込んだ。
せき込みながら、謝った蒼鱗に答えた。

「謝らないで。
何も間違ったこと、してないんだから、あなたも」

美智姫が倒れかけて、寧火が支えた。
美智姫の状態を蒼鱗が見、白納仁がこちらへ歩きかけていた。

そのとき、ぱあんと肌を張る音がした。

全員が驚いて、音の出所を見た。
視線の集まった先に、千夜と一夜がいた。
二人は沈黙していた。
姿勢から、千夜が一夜のほおをぶった様子だった。

表情は変えないまま、千夜は喋った。

「愚かなことを。
今後二度と、私に身を案じさせるような真似はしないで頂戴」

赤くなったほおに手を当てて、視線はそらせたまま、一夜は返した。

「ごめんなさい、姉さん」

そしてその場所に、沈黙が流れた。

誰も見ていなかったために、その動きは誰にも気づかれなかった。
石化したヘビの死骸から、液体が薄く流れ出て、地面を這った。
液体は蒼鱗の体にすり寄り、その身をつたって、右腕のすその中に消えた。









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