青輪異界国伝聞 美智姫奇譚
第三六話 アオイヨルハ…

月光が、細く天井の隙間を抜けて、蒼鱗の銀髪を、褐色の肌を、白く濡らしていた。

玖陀山脈の鉄を含んだ木々は、朽ちても形が崩れにくかった。
そのため折り重なった木々が形を保ったまま土に還り、
下に空洞を残したまま大地になることがままあった。

花坐隊は、そうしてできた洞穴にいた。
野営地として、洞穴を利用していた。

「あの」

声をかけられて、蒼鱗の金眼がそろりと動いた。
そこにいたのは、寧火だった。
手を触れようとしたのか、右手が中途半端に浮いて、栗色の瞳が小動物のように泳いでいた。

蒼鱗はゆるく微笑んで、尋ねた。

「どうされましたか。
寧火さんもしますか、月光浴」

いえ、眠れなくて、と寧火は答えて、顔は伏せながら目を上げた。
蒼鱗は寧火の何か話したげな様子を見て取って、話をうながした。
寧火は目も伏せて、ぽつぽつと話した。

「私、この隊にいて場違いじゃないかって、心配なんです。
甲の国じゃ筆頭術師なんて扱いですけど、この隊の人はみなさん強いですし。
それに大妖怪のこととかも、私は全然縁のないことだったので」

ああ、と蒼鱗は微笑んだ。

「心配しなくても、寧火さんの力は十二分に通用しています。
そもそも大妖怪のことは機密事項なので、そうそう補充要因を入れられないんでしょう。
巻き込まれる形ですが、大妖怪のことを知ることとなった寧火さんは貴重な存在です。
もっとも花坐隊に加えたのは、監視の意味もあるのでしょうが」

えっ、と、寧火は首をかしげた。
きゅ、と蒼鱗の目が細まって、口から言葉が続き出た。

「だって、そうでしょう。
国の最重要機密が、同盟国とはいえ無関係の人間に知られてしまったんです。
機密保持のため、なんらかの手段を講じなくてはならない。
手元に置いておけば、情報を漏らすこともないですし、いざとなれば口を封じるのもたやすい」

寧火は両手を胸に押し当てて、後ずさった。
蒼鱗の視線が、少なくとも寧火の知る範囲では見たことのない、冷たいものへと変わっていた。
その蒼鱗の口が開きかけたとき、別の声がかかった。

「少し黙っておこうかの、蒼鱗」

声の方向に、寧火はびくりと身を縮こまらせ、蒼鱗はわずらわしげに、視線を向けた。
白納仁だった。

「おやおや白納仁さん、ずいぶんといいタイミングで現れましたね。
寧火さんに妖怪でもつけて、監視していたんですかね。
それとも私につけていましたか」

わざとらしく、両手を広げて仰々しく蒼鱗は言った。
白納仁は歩み寄り、とび色の瞳と鼻柱を張りつきそうなほど突きつけて、蒼鱗をいさめた。

「気が立っておるな。
むやみに人を怖がらせて、楽しいか」

「私はね」

戸を叩くように白納仁の胸を打って、蒼鱗は噛みついた。

「私だって、怒ってるんです。
なぜ大妖怪のことを前もって教えてくれなかったのか。
朱狼さんと、気持ちはそう変わるものじゃない」

蒼鱗の金眼は、炎のように燃えて白納仁の瞳を見上げていた。
白納仁は静かに、それを見下ろしていた。
寧火はただ、縮こまって見ているしかなかった。

やがて蒼鱗は、白納仁から離れて、背を向けた。

「寝ます。
イライラしてもどうしようもありません。
仲違いをして、もし戦力が削られたら、一番喜ぶのは大妖怪ですからね」

蒼鱗はそのまま、振り返らず、その場を去った。
白納仁と寧火は、何をするでもなく、その背中を見ていた。



早足で、蒼鱗は歩いていった。
月明かりもあまり入らない、暗い区域で、蒼鱗は立ち止まった。
壁に、背中をつけた。
ふうーっと、蒼鱗は細く長く息を吐いた。
木質と金属質の入り混じった壁が、独特の冷感を蒼鱗の背中に張りつけていた。

そのとき、声が響いた。

(オレに従えば、すべて手に入るぞ、蒼鱗?)

顔をうつむけた状態で、蒼鱗は三白眼を上げた。
声は、蒼鱗の頭に直接響いていた。
周囲に人がいないのを確認して、蒼鱗は小声で声に返した。

「うまく逃れましたね。
甲の国に入る少し前――あなたと会話した晩、朱狼さんにその存在を感づかれた。
あなたはとっさに眷属の妖怪を作り出し、自身は私の魂の奥深くに隠れ潜んだ。
朱狼さんの紫桜丸は眷属を引きずり出すのみに終わり、あなたは死なずに済んだ」

くつくつと、声は笑った。

(いい勘をしていたな。
死にこそしなかったが、妖力は奪われてこうして声を届かすのもできなかった。
先刻、オレに種類の近かった水のヘビ、あいつを吸収して、ようやく本調子が戻ってきた)

蒼鱗は、いまいましげな目つきをした。
死ねばよかったのにと、声には出さず心に思った。

(ひどいな。
オレはずっとおまえのそばにいて、おまえを守っていて、なおかつ父も同然なんだぞ)

声の主は、蒼鱗と心がつながっていた。
そのため蒼鱗が声を出さなくても、考えることを読み取ることができた。

甘く、声はささやいた。

(なあ、蒼鱗。
オレが大妖怪の力を手に入れることに、なんの問題がある?
美智姫は死ぬが、知ってるだろう、オレは魂を保管する能力がある。
その力を使えば、美智姫がいなくなることはないし、その気になれば、
おまえとともにオレが生きている限り永遠に『生かす』こともできるぞ?)

「問題は大有りです。
あなたは大妖怪の力を使って、この大陸を支配しようとしている。
そこに平和はなくなるし、何人死ぬか分かったものじゃない」

(なら)

冷たく、あざ笑うように声は言った。

(オレの存在を、なぜ誰かに言わない?)

蒼鱗は、答えなかった。
なめるように、まるで実体を持って触れているかのように、声はまとわりついた。

(分かってるさ。
結局、おまえは信用してないのさ。
話して、果たしてヤツらに何かできるのか?
あるいは異常者と思われるか、それとも自分ごと排除されてしまうのではないか?
花坐隊のヤツらも誰もかも信頼してないから、オレのことを話す気になれない。
オレを放置すれば誰に危害が加わるか分からないのに、人に助けを請う意志すらないんだ。
それで自分から壁を作って、まるで自分が悲劇の中心にいるような気になっている。
そうしているうちに、事態はどんどん悪化していく)

「私があなたを抑え込めれば、それで済みます」

(ほう?)

蒼鱗は、びくりと顔をしかめた。
右手が、蒼鱗の意思と関係なく、びしびしとうごめいた。
蒼鱗は左手で、右手を押さえた。
冷や汗を浮かべた蒼鱗に、声は冷徹ながら甘美に響いた。

(あなどるなよ。
その気になれば、おまえの右腕一本くらい簡単に操れるんだぞ。
その手でおまえの首でもかいて殺せば――大妖怪と同様――オレは自由の身になって復活できるんだ。
もっとも全身全霊をかけて右腕一本がやっとだし、そのまま復活しても、
今のままでは妖力も少ない貧弱な姿をさらすだけだがな。
確実に力を手に入れるまで、おまえを殺しはしないさ、蒼鱗?)

蒼鱗は、はあっと息の塊を吐いた。
右手はすでに自由になっていたが、余韻がしびれとして残っていた。
犬歯をむき出して、抵抗するように、蒼鱗は言葉を吐き下した。

「あなたの思い通りになどさせない。
私を殺させはしないし、他の誰も殺させない。
抑えてみせる」

けらけらと、声は笑った。

(結構だねえ、いい威勢だ。
言うだけで中身はないがな。
オレの言いなりになって何人も殺したのは、どこの誰だったかなあ)

耳に、声はぴったりと寄り添った。

(煉瓦(レンガ)の国を滅ぼしたのは、ほかならぬおまえだろう?)

ぞうっと、蒼鱗の背中を悪寒が駆けた。
あざ笑うように、声はささやいた。

(忘れたわけじゃあるまい。
そうだ、記憶をつついて、そのときのことを思い返してやろうか)

両手を、蒼鱗は後ろの壁に押しつけた。
見開いた目を真下に向けて、えずくように蒼鱗は身体を屈曲させた。
視界が暗転し白抜けするように、蒼鱗の意識は記憶へと吹き飛んだ。









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